を読んでも、全体的に感心したり、好きになったり、無条件でその人のものを読むようなことはありませんでした。以前ロマン・ローランの「ジャン・クリストフ」を読んでかなり感心したことがありました。そしてまた今、「マソー・レンチャンテッド」(訳名アンネットとシルビー)を読んでおりますが、まだほんの初めですから、はっきりしたことはいわれませんが、私はこの作者の見方や、感じ方についても、或る疑いを抱いております。
私は小説を書くことが好きでもあり随分根気のいい方ですから、幾度も書き直しもします。誰でもいうように初めの書き出しは一番苦心します。百枚以上のものでしたら、初めの二十枚位、短かいものでも三四枚は、やはりその一篇の足場になるところですから、書き出しの具合でどうにも筆が伸びなくなることもあります。しかし、いわゆる文章(描写?)には余り拘泥しません。私のはいつも、ある材料について、その対象をいかに巧く書くかというのではなく、いかに見、いかに感じたかということが主眼なのです、そして表現は自らそれに伴なってくるものという考え方です。そういう点、里見さんの「内容と表現」というあの言い方がうなずけます。
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