据えて、それらの人々との交渉の間にキーラムという人物、道代という娘、持田、高雄、など、それぞれの人物、ウェスレー教会でのような特徴的な場面場面が描き出されて行ったならば、興味ある一長篇となるだろう。この作品で、作者はまだ自分の描こうとするひろい現実に対して自身のおり場所というものをはっきりきめていない。だが、作者の共感は「労働者に必要な知識」を身につけて、移民の自覚をうながすために努力している持田、可憐で、なにか積極的なものを二世としての自分の生活の中に見出そうとしているジュンなどの上にあるのである。
佐藤俊子氏の作の「小さき歩み」というどこやら謙遜めいた題から私は作者がこの十数年間に人間として身にとりあつめて来たものの内容と、現在作家として感じようとする文学的雰囲気とでもいうようなものとの間に、何か不安定な間隔が介在していることを感じた。私はこの作者が、都会人らしく自身の経験を単なる偶然のこととして眺めすてず、執拗に、具体的に心理、情景の細部をも追究して後篇を完成することを深く希望する。この作者が歴史の進歩的な面への共感によって生きようとしている限り、よしんば偶然によって貯蓄された
前へ
次へ
全17ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング