案内する前、雑誌や新聞をこの隅に重ねた時、間に、フランス鞣に真珠貝のボタンのついた四角い小銭入《こせんい》れが在った覚えがある。考え出そうと頭を傾《かし》げ乍ら戸棚の奥まで徒に探した愛は、急に何か思い当て嬉しそうに柔かい毛足袋《けたび》の音を立てて二階に行った。禎一は、机に向って居る。愛は、
「私、一寸出かけて来てよ」
と云った。
「行っといで――さっきの借金忘れないように」
「――だから頂戴」
 禎一は訝しそうに、愛の顔を見上げた。
「何を?」
「私の――」
「お前の? 何さ」
「ほんとによ」
 愛は、極りのわるそうな顔で囁いた。
「これから放《ほっ》ぽり出してなんか置かないから、ね」
「何さ、わからないよ」
 本当に、良人が何を云われて居るのか分らないのを知ると、愛には益々金入れの行方が判らなくなって来た。彼女には、前に一度そういう経験があった。今よりもっと途方に暮れ、さがしあぐねて居ると、禎一が何気なく
「二階見たかい」
と尋ねた。ある筈ないんだけど、と、愛が行って机の引出しをあけて見たら、計らず其がとりあげられて居た。その時を思い出し、彼女は、いきなり良人の仕業と思い込んだのであった。
「どうしたんでしょう、全くないの」
「変じゃあないか」
 禎一も立って下に来た。
「ここにあったのよ、確なの其は」
「――台処の木戸あけたかい? 今朝」
「いいえ」
「――昨夜、この部屋に居たのは――小幡とふきだけだね」
「ええ」
 何か推考する禎一の瞳と愛の眼がぴったり合った。愛は、ありあり意味を感じ小さい不安そうな声で訊いた。
「――そうお? 貴方もそうお思いんなる?」
 禎一は、素早い愛の感づきを苦笑し乍ら顎を撫でた。
「――真逆と思うがね、どうも。――でも、これ迄家ん中に此那ことはなかったんだからな」
「ふきは、これ迄彼那に手伝って貰って居たって決して此那ことはなかったわ――私、何だかいやだな、あの人が若しそうだと、私困るわ」
「ふむ――一寸困るね」
 小幡というのは、或会社に勤めて居る事ム員で、近頃或機会から、一ヵ月に一二度ずつ彼等の処へ遊びに来る婦人であった。二十六七の、気の強そうな話し好きであった。浅黒い顔にさっぱりした身なりで、現在の良人との結婚前後のことなど遠慮なく自分から話す。その間にちょいちょい鋭い批評眼らしいものが閃く。あれでもう少し重みと見識が加った
前へ 次へ
全5ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング