や改って腰を下した。規則をきき、一ヵ月、貸家の通知書を送って貰うために、五円ほどの金を払ったと覚えている。
 その変に捩くれた万年筆を持った男が、帳簿を繰り繰り、九段にこんな家があるが、どうですね、少々権利があって面倒だが、などと云っている時であった。
 格子の内に、白い夏服を着、丸顔で髪の黒い一人の外国人が入って来る。
 そして、貸家が欲しいと云う。そこに居合わせた、自分等を入れて四五人の人間は、一時に好意ある好奇心を感じた。
 指ケ谷辺で、二階のある家、なおよろしい。あまり高いの困ります。と、非常に語尾の強い、ややぼきぼきした言葉で、注文の要件を提出した。
 私共に応待した卓子の前にいた男は、立って行って、盲唖学校の近所にあるという一軒の家をサジェストした。
「場所は分りますか? 電車分りますか?」
「分ります。私行ったこと、よくありますから。――然し、いやなことありますまいね」
「何です?」
 男は、何方かといえば子供らしい、きかん気の子供らしいその外国人の顔を見下しながら、敷居の上から薄笑いした。
 私共も、思わず微笑した。併し、何処の人だか、見分けがつかなかった。
「あちら、こちら……ない家歩いて、金沢山取ることありませんか?」
「大丈夫ですよ、そんなこと!」
 男は、辛辣な質問に驚いたように見えた。この外国人が日本に来、こんな質問をするような経験を多くしているのかと思ったら、自分はひどく不愉快になった。
「大丈夫です、信じなさい。私は、外国の人の為には出来るだけ親切にしますから」
「――有難う……」
 帽子に手をかけ、所書を貰って彼は出て行った。
「偉いことを云いますね」
 男は、皆の顔をぐるりと見廻して、あまりハーティーでない笑をあげた。――
 それから、幾日か経ち、八月の或る日の午後(念の為にAの日記を見たら、八月の八日、土曜日で、この日は何かの必要から博物館に行った後、と書いてある)上野の停車場に止宿している、アナンダ・クマラスワミー博士を訪問した。
 新聞で、彼の来朝を知り、Aが、コロンビアの、プロフェッサー・ジャクソンの教室で紹介されたことがあるので、会ったら彼の為に何か助けられよう、と云うのであった。
 彼は、印度人で、幼少の時から英国で教育され、今はボストン博物館で、東洋美術部の部長か何かをしながら、印度芸術の唯一の紹介者として世界的な人物
前へ 次へ
全3ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング