そこへ行き、中を覗いて見る。大抵の時は、白い丸い顔をした彼が誰か一人二人の友達と遊んでい、自分を見つけ、笑う。入って行って、その時分でさえ、小さく窮屈だった椅子に横にかけ、机にのしかかり、話の仲間に入る。――
 そういう昼休みの時、校舎の、多分北裏にあった、狭い、荒れた花壇は自分にとって忘られないものであった。
 弟を誘ったり、独りでも、よくそこに行っては長い時間を費した。よくは分らないが、二十坪足らずの空地に、円や四角の花床が作られ、菊や、紫蘭、どくだみ、麻、向日葵のようなものが、余り手を入れられずに生えている一隅なのである。
 小使部屋を抜けて、石炭殼を敷いた細い細い処を通っても行けたし、教室の方からならば、厠の傍の二枚の硝子戸を開けてもそこに出られた。一方の隅の処は、嶮しい石崖になっていて、晴れた日には遠く指ケ谷の方が目の下に眺められる。杉か何かの生垣で、隣との境が区切られている。ぶらぶらと彼方此方歩き、眺め、自分はよく、ませ過ぎた憂愁の快よさに浸ったものだ。彼方には、皆の、恐らく子供の、領分がある。自分はここで、枯れかけた花を見、ひやひやするこみちを歩き、自分にほか分らない感動に満されている。――当のない憧憬や、恐ろしく感傷的な愛に動かされたりする。そうかと思うと、急に熱心に生垣の隙間から隣を覗き、障子の白い紙に華やかな紅の色を照り栄えながら、奥さんらしい人が縫物をしているのを眺める。ここの隣りに、そんなうちがあるのが不思議に感ぜられる。黙ってひっそりと、静に動いたり、顔をあげたりするのが妙に驚ろかれる。暫く我を忘れた後、私は、はっと気がつき、瞬間、さてこれからどこに行こうかと、迷い頼りない心持に胸を満される。
 然し、こんなことは何でもない。やがて私が、教員室から運動場へ出る段の前に据えられたピンポン台の前に立って、意地悪いほど熱中した眼をしながら、白い小球を、かん、かん、かん、かんと打ち返し、打ち損じているのを見るだろう。
 ――思い出は多い。半開人のような自分を中心にして種々様々な場合が思い浮んで来る。書いても、書いても尽きなく感ぜられる。子供の社会生活や、大人と子供――学校では先生と生徒との間に、どんな鋭い人格的、或は人間的純・不純の直覚があるか、少し頭の問題になると、なおおしまいの見通しは利かなくなる。
 もう止めよう。
 あの古い藤棚の下では、今も猶、私の耳に空気を顫わすカレドニアンが響いている。
 文字を徹して、私共の久しく御目にかからない先生がたに、御挨拶申上ます。
[#地付き]〔一九二一年十二月〕



底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年3月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
   1953(昭和28)年1月発行
初出:「学友会雑誌」27号、誠之小学校
   1921(大正10)年12月15日発行
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
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