ラーズの一つであった。大抵の若い人たちは、あの本を愛読して感動した。年をとった人々でも、やはり尊敬をもって、この卓抜な一婦人科学者の堅忍と潔白とが成就せしめた業績を読みとったと思う。だが、キュリー夫人へのその讚歎をそれなりすらりと日本の現状にふりむけてみて、そこにある日本の婦人科学者の成長の可能条件の可否に即して真面目に考えた人たちは果して何人在っただろう。フランスであったからこそ、キュリー夫人が女で科学者であるという道の上にめぐりあった種々の闘いを、成功的に勝ち得たのだという感想は、おのずから湧いたと思う。キュリー夫人のようなひとが外国にはいるのに日本の女は、とその低さをいきなり云われることは日本の刻々の現実のなかで成長して行かなければならない日本の女にとって、思いやりない言葉と思う。文化面でも、どれだけの人間の才能と精力が社会的条件によって浪費されているかということが、つまりはその国の文化の質を語るのだが、日本で女の科学的成長の可能は極めて低くそして狭い。
 或る知名な技術家に十六七の娘さんがいて、そのひとは数学が大変すきだ。女学校へ入った頃から特別に指導者をもってよろこんでその道
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