じゃあ、先生の好きなのはどういうんだろう、と、自然、先生のうけいれられる限界に縮めて自分をあてはめる術を会得してゆくということがその二つ。そして、これは優等生の一人をつくる第一歩であり、優良社員をつくる一つの道であり、けちな面白みのない人間が一人ふやされゆく道どりでもある。
童心のきよらかさとはどういうものだろう。子供はわるいことをする。ひどいこと、すごいこと、そのどっちもする。子供の心にある憎悪は大人を恐怖さえさせる。それでも子供の心がきよらかだというのは、どうしてだろう。子供は、憎らしいから、うんと憎らしい顔をしてみせるので、ここいらでこんな顔も見せておこうという意識されたジェスチュアはない。きよいというのならば、その点を云える。だから、私たちは子供相手で本気に腹を立てるし、泣いたり、よろこんだりもする。
子供の世界を描いた文学の多くが、何となく清潔感を欠くのは、ここのところの解釈に微妙な関係をもっている。純真ということを、大人の一生懸命さにひきつけて意味づけたり、無心さを、いじらしさと溶けあわさせたりして、大人の感傷に作家が我知らずこびるとき、子供の世界の最も生粋な陽なたくさくて、心持のいい颯爽《さっそう》さは消えて、そこに子役が登場して来る。
現代の文学史のなかで、昭和十三年ごろ、子供を描いた作品が流行したということには、なおざりにされない意味が感じられる。この時期に日本の文学は、人間肯定の行手に様々の障害をみて、文芸評論は骨格を失い、批評文学という名で呼ばれる主観的な断想表現の道へ歩み入った。随筆が流行し、「小島の春」がひろく読まれ、一方では生産文学や、開拓文学が出現しはじめた時期であった。
文学に人間らしさを探ねる本来の欲求は、それら、一つ一つの扉をたたき、しかも、何かみたされない心の郷愁を、子供の世界に憩わせようとしたと思える。
けれども、そこも文学にとって遂の棲家であり得なかった。現実は健やかであると思う。子供たちは大人の心やりのために、彼等の喚声と動きとの明暮をもっているのではないのだから。
底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第九巻」河出書房
1952(昭和27)年8月発行
初出:不詳
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