てゆこうとしているまじめな目を暗示させながら、なお、子供の世界に一種の大人としての美しさというか、品のよさというか、そういうものを外からもちこんでいる箇所がないではないことである。主として、用語の上に、この作者の微妙な内部的の複雑さが現れている。たとえば、作者は、「花」を「お花」といい「空」を「お空」といっている。何故「お」という敬語的な冠が空にいるのであろうか。空は空として芸術的にまったく美しい。そして、科学的の正しさにおいても心配はない。花は花であるからこそいきいきとして目と心を奪う花なのではないだろうか。お花といわれると私たちは仏さんのお花という連想があったり、お花のけいこにつながったり、花そのものには不用な形式的なものをつけ加えられる。子供のための文学の作者のよい感覚は、子供の感情再現の内容をつくる、そういう用語の上にも敏感、率直、清潔であらねばならない。こしらえられたいわゆる品のよさがどんなに言葉から生気を奪い、またそのことでそういう言葉が趣向にかなう一定の非大衆的な社会環境というものさえ暗示されるものである。これらのことは、「村の月夜」の作者のよく理解するところであろう。

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