まま、ターニャは猫をテーブルの上から追った。
――今日はどう? あんたのチビさんの御機嫌は。
――オイ! とてもさかんに体育運動をやってます。
ターニャは笑って七ヵ月のたっぷりふくらんだ自分の腹を軽くたたきながら出て行った。
一月半ばかり前、日本女がモスクワ第一大学附属病院へ入って来て間もない或る日だった。風呂に入れといって、背の高くない、身持ちの、ほっぺたが赤い一人の保姆《ニャーニャ》が車輪つき椅子をころがしこんで来た。日本女は体を動かすと同時に肝臓の痛みからボロボロ涙をこぼし、風呂には入れず、涙の間から身持ちの若い保姆の白衣のふくらがりをきつく印象された。
それがターニャだった。
保姆《ニャーニャ》は通勤だ。六人が二十四時間を三交代の八時間勤務で働く。ターニャは夜の当直には来なかった。二十歳である。彼女の夫は国立音楽学校でバリトーンをやっている。ターニャは暇があると当直室の机へむき出しの腕をおっつけて代数を勉強した。毎晩六時から十一時まで彼女はブハーリンの名におけるモスクワ大学の労働科《ラブファク》で、革命がブルジョアの独占からプロレタリアートに向って解放した文化を吸収
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