は三時間毎に授乳時間を与えられる。朝子供をつれて出勤し、退け時まで、女医と保姆の手もとにある子について何の心配がいろう。
子を産んでその男から捨てられるという悲劇もソヴェトでは女をセイヌ河や隅田川へは行かせない。国民裁判所《ナロードヌイ・スード》へ彼女を行かせるだけだ。民法は、事情によって父親が受ける月給の半額までの扶助料を子供が十八歳になる迄支払う義務を決定している。
万一、男が更に非ソヴェト市民的で、扶助料支払いをいやがり、行衛をくらました時、例えばターニャはどうするか。彼女ひとりの収入ではとても子供の養育はしきれない。法律によって男の親が食糧品か金で子供を扶助する義務をもっている。その親もない場合。
子供は、父と母とのどういう関係によって生れようともターニャ一人の子ではない。生れた以上ソヴェト社会の嫡出子だ。いざという場合はソヴェト国家がその陣営に加えられた幼い一員に対して社会的連帯責任を負う。「子供の家」は最後の網となって経済能力の弱い母の手から脱落しようとする子を社会の成員として受けとめるのである。
女の中に予期された母性の経済的独立を保証する為、離婚法は、女に職業能力がない場合、一年間(その間に女が職業を習得する)生活保証すべき義務を夫に示している。
合法的人工流産は、これ等数種の積極的条件の最後にあって、母性の擁護と秘密な罪悪の防止に役立てられている。
金髪のターニャひとりが、何か彼女の特別な理由で、このように広汎な社会連帯の上に、彼女の若き勤労婦人としての独立、恋愛の自由、母性のよろこびを獲得しているのだろうか? そうではない。ソヴェト全勤労婦人がこの基礎に立っている。プロレタリアートの「十月」は母性と私有財産制のみっともない結びつきを革命的に截断し、がっちり社会主義社会連帯の間に母性を組みなおした。職業組合に属さぬ勤労婦人はない。生れて、彼を社会成員として受けいれる組織をもたぬ赤坊はない。
これだけのことを知って、みなさん、さらに或る晴やかな夏の午後|並木通り《ブリヴァール》の楡の樹蔭をぶらぶら歩いて、そこに眠っている無数の赤坊を見なおそう。
ソヴェトの赤坊だ。
工場の交代時間、託児所《ヤースリ》からあふれる子供の歓声と母親の笑いごえをきけ。ソヴェトの子と母である。
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(一九二八年から一九三三年にわたるソヴェ
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