る。
ソヴェト市民の大部分は日本と中国の区別を、地理的にも風俗史的にも頭の中にもっていない。日本が立憲政体であることを知っている位の啓蒙者は、次に諸君に向って必ず云うだろう。
――日本はそれに非常な人口だそうじゃないですか。年にどの位ずつ殖えますかね?
――七八十万です。
――アイヤイ、ヤイ! 何と沢山だ!
が、真に驚くべきは生れる赤坊の数ではない筈である。何故ならソヴェトは最近年にほぼ三百万人――総人口に対する三分の率で小社会人を増殖しているのだから。おどろくべきは、日本に於て年七八十万人ずつの赤坊のいわば九十パーセントが、社会的に何の保護を持たぬプロレタリアートを母として何等の生存権を主張すべき手がかりを持たぬ嬰児としてこの世に送り出されつつあるという事実である。
十月革命はこの一点だけでも人類としての歴史的使命を果した。СССРでは女性が市民、勤労者としての権利に於て男性と全く対等である上に、プラス、母として性の擁護を法律によって完全に与えられている。
窓外はまだ零下十五度の厳寒《マローズ》である。凍った雪あかりが室内の白い壁にチラチラしている。
窓枠が少し古びて、すき間風が入る。頭から白い毛糸肩掛をかぶった日本女が、唇の端から細いゴム管をたらしてねたまま横目で猫を見ていた。
寝台の横には楕円形のテーブルが置いてある。首がガクつくのをガーゼで巻いてある真鍮の呼鈴《ベル》、一緒に、アスパラガスに似た鉢植が緑の細かい葉をふっさり垂れていた。
日本でも猫が葉っぱをたべたりするのかしらん。――
床に黄色い透明な液体が底にたまった大コップがある。胆汁だ。斑猫《ぶちねこ》はそのコップをよけ、前肢をそろえ髭をあおむけ、そっと葉っぱを引っぱっては食っている。ふさふさした葉が揺れるだけだ。音もしない。日本女はもう二時間そうやって寝ている。
猫はとうとうテーブルへとびあがった。これは日本女を不安にした。鉢植えの植物には薄青い芽が萌えたばかりである。そのみずみずしいのを猫は食いたいんだ、きっと。
臥たまま手でテーブルをガタガタやった。退《の》かぬ。ちょうどいい工合に病室の扉があいた。
――ああ、ターニャ!
――まだやってらっしゃるんですか。もう直き御飯ですよ。
まぶしいような金髪で、赤い頬で、白衣をまくりあげた片腕いっぱいにうずたかくパンをかかえた
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