。例えば、一九二二年に楠山正雄氏とシュニツレル選集を編輯してその印税の全部を敗戦国の老文豪に送ったことも、単に山本氏が独文出身だからというだけの内面の動機ではないであろう。戯曲家としての氏が、自作の上演に当って劇場側の態度がわるい場合、勝手に改作したり、無断上演したりした場合、法律的手段によっても作者としての正当な権利を主張して来ている例は今日迄一再に止まらない。最近にも、放送局との間に、同種類の問題が生じて、山本氏は自作の放送を中止させたことがある。
山本氏は、封建的な芝居ものの社会で、作者が従来おかれていた隷属的な地位を引上げなければならないという、或る意味での社会的関心から、誰にしろ厭にきまっているいざこざ[#「いざこざ」に傍点]に堪えて主張を押し通そうとしたのであった。
日本の資本主義の機構の中で、作家とその作品というものは、多くの場合芸術家とその芸術というに価するだけの社会的重しをもたされないし、又持たせ得る作者も尠い。山本氏が放送局と正面衝突を辞さない気持の根柢には、そのことに対する鬱積と爆発とがうかがえる。何でも一身の打算と安寧からだけ進退したがる現今の人心を、よいと
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