高等二年生にした二十年の歳月は、公荘と允子との生活をもいつしかかえ、彼等は郊外に木造の小じんまりした洋館を新築した。「家は出来るし、生活の不安はないし、允男の成績はいいし、一家は和平に満ちていた。」
然し、時代は、允子が允男に風邪をひかすまいとばかり心をくばって生きて来る間に、風波の高いものとなって来ている。公荘夫婦は、允男のかえりがおそくでもあると「まさかそんなことはないと思うけれど」「一つの流行《はやり》だからな」と息子が赤になることを警戒し、息子の書斎をしらべたりする。ハイネの「アッタ・トロル」を「読んでいるようだと、よほど注意しなくちゃいけませんね」「もちろんだ、うっちゃっておいたらそれこそ大変だ。」こういう警戒にもかかわらず、「己は赤の方の心配さえなければ外に心配はないよ」と云う将にその心配が落ちかかって来て、息子はつかまる。允子は警察で息子に会い、父親の地位の危くなることや息子の親友の一人の名を発表したりして、允男を泣き落そうとする。
釈放されて来た允男は允子にゴーリキイの「母」などを読まそうとするのであるが、允子の考えは、允子は「生活や教養が違っているから」「息子をとっつらまえる方が間違っているんだと、そう単純には思いこめず」パーウェルの母とは逆に「向《むき》になっている息子をしずめることこそ、現在のような事情の下にあってはむしろ母親のつとめだ」という考えを固執している。
允男は遂に家を出てしまった。公荘は悲歎の裡に死ぬ。允子は不安の絶えないその後の生活の或る日映画の「丘を越えて」を見物して、心機一転した。允子は「丘を越えて」の母親の生きかたの不甲斐なさに刺戟され「女は年をとると子供の外に何もないのがいけないのじゃないでしょうか」「母親は丘を越えて養老院へはいることじゃなくて、もっと大事な丘を越えなくちゃいけない」「女には二つの出産がある。肉体的の出産ともう一つの出産が。肉体的の出産によって女は母になる。そしてもう一つの出産によって母親は人間になるのだ。」允子はそれによって「子は社会に生れ、母は社会に生きるのだ」ということに思い至る。そして、長い苦しみの中から初めて光を認め、また元の仕事をやって行く決心をする。「波」「風」等に比べて、遙かに意慾的なこの作品は、或る労働者の赤坊をとりあげてやった女医である允子が快く早朝のラジオ体操の掛声をきくところ
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