飯や薯の煮ころばしで、狐の好意を釣出す訳なのである。
ところで、三郎は、そこへ気がついて、同志を募っては、原っぱ中に子持ち狐を探しに行く。いくらその時分でも、人間に面と向えば狐の方で逃げるのだから、なかなか子持ち狐、それも強飯と薯の煮たのを供えられる資格のある、生れたての子狐を伴れたのには出会わない。けれども、四日五日と欠かさず歩きまわっているうちには、一つぐらいは見つけられる。そうなると、母親に注進する。注進したばかりではなく、必要があれば現場をも見せる。
そして、作ってもろうた施物を持って穴へ行く彼は、十分の一ぐらいのお裾分けを置いてやったなり、あとはさっさと、自分達のお腹の中へ施してしまうのである。
そんなことをしながら、三郎はだんだん大きくなった。そして、多分十一二頃、隣村の何とかいう寺へ、お小僧に住込ませられた。
隣村といっても、その時分の隣なのだから、それこそ狐や狸の穴だらけな野原を越え、提燈のろうそくを掠める河獺《かわうそ》のいる川を越えた二三里先の村なのである。
そこへ字を習いに、毎日通ってはいられず、また、「お寺様への附届け」を十分するほど、子供に寛大になっていられなかった彼の親は、庭の掃き掃除、台所の手伝や小間使いを勤めるのと引き換に、「音信ぐらいは書ける」手習いを授けてもらうことにしたのである。
藁で小さいちょん髷《まげ》に結い、つぎだらけの股引に草鞋《わらじ》がけで、大きな握り飯を三つ背負った彼は、米三升、蕎麦粉《そばこ》五升に、真黒けな串柿を持った親父につれられて、ポクポクポクポクと髷には似合わず幅広な肩の上へ、淡黄色い砂埃を溜めながら、遠い路を歩いて行った。
そして、どこまでだか送ってくれた、遊び仲間が別れるとき急にあらたまって、
「行かしてごぜ……」
と、一斉におじぎをしてくれたときには、生れて始めて、「胸にはあ、おっちみるような心持」がしたそうである。
けれども、それが悲しさであったのだろうと、一言の説明を加えない彼は、やはりそのときも、それが何だか知ろうとも考えようともしなかったのだろう。
彼はただ、門の傍にどんなにおいしそうな柿が熟れてい、それをどんなにして、行った早々の自分が盗み、どんなに満足と勝利の感に充たされながら、話している和尚と親父の傍で食べたかということだけを、はっきりと覚えている。
それほど、その
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