て来ている山沢さんが、彼の珍しがるような話をすると、三郎は三郎でまた、子供に話して聞かせるように手真似、口真似で、ここがまだ狐っ原だった時分の追想を語る。
静かなあたりの空気を揺って、四五十年の年を、逆に遡《さかのぼ》った長閑な、楽しそうな笑声が、二人の口を突いて出ることも珍しくはなかった。
平常の通り心持はゆったりとし、余裕はありながら、山沢さんが自分の死期の近づいたことを知っていることが、彼の心に感じられた。
言葉以上に、はっきりと彼は悟っていたので、それとなく仄《ほのめ》かされる後事に就ても、彼は悲しい謙譲と、愛とに満たされながら真面目に耳を傾けた。
そして何かの折に、
「貴様の生きているうちは、墓掃除をたのんだぞ」
と云われたとき、彼は黙ってぴったりと、畳の上に平伏した。
十一
そんな風になってから、三郎爺と山沢さんはほんとに「仲よし」になった。もう山沢さんが彼に対する愛情を押えなくなったのだともいえる。
飯まで自分の床の傍で一緒に食べさせながら「旦那様はよく世の中のことを語りなすった」のだそうだ。世の中のことというのは山沢さんの人生観のようなものででもあったろう。
無学な彼には、一言一語よく訳の通じない言葉はあっても、旦那様の「思惑」は、自分のもののように、よく分った。
山沢さんが、泣きたいような心持のときには、彼も何だか気が沈む。情ない、「おっちみるような」気がする。
けれども、山沢さんが得意に昂奮しながら、功名話をするときには、彼もまた自分と山沢さんの見境がなくなるほど、心が嬉しかった。
世界中の人間に、どんなもんだ! と云いたいように意気揚々とする。
まるで社殿の、「あまいぬ、こまいぬ」のように床の傍から片時も離れずに一緒に笑い、一緒に憤りしながら、三郎爺は旦那様の顔に現われて来る不吉な相貌をどうすることもできなかった。
助からない病が、だんだん顔へ出て来るのが、年の功で分るのだそうだ。
そして、とうとう、まだそう年寄りとはいわれない六十の春に、三郎爺の唯一の愛護者であった山沢さんは、逝ってしまったのである。
彼は、もちろん非常に悲しかった。大層泣きたかった。両方の肩が、げっそりするほど、力が落ちた。けれども、彼の脣からは、ただ、
「これも世の中だ、仕方があんめえ!」
という言葉が、一句洩れたきり、彼は
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