民は、従順で、ヨーロッパでは人間の食べなかった壁の材料も食べさせられた。けれども、一九四八年の日本では、人民解放と民族の自立にかかわるすべての言葉がいつともなしにそのさかさまの内容でつかわれてきているというような現象を、わたしたちはうけいれることができるだろうか。ポーランドや朝鮮は、その民族の悲劇として永年の間自分の国の言葉をうしなわされていた。母国語を奪われているということについて、ショパンは彼の音楽でどんなメロディーを訴えたろう。マダム・キュリーは小学生だったとき、奪われている母国語についてどんな痛苦を経験したろうか。ワンダ・ワシレフスカヤの文学は、ポーランドの人々が真に人民のいのちを生きる言葉としてポーランド語をとりかえしてゆく一歩一歩の間から生れた。
 日本のわたしたちが、こんにち、本質のすりかえられた民主的[#「民主的」に傍点]語彙によって生活させられているとすれば、それは或る意味で、母国語を失ったよりも重大なことである。ポーランドや朝鮮の人々は、母国語を失わされたことによって、はげしい正当な憤りを感じつづけた。愛すべき人民の祖国とその親愛、独特な文化への情熱をめざまされた。
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