としたことはひろく知られている。
 日本の人民が自分たちの健康でゆたかな毎日の生活と文化を求めて努力している心は、当然、エロ・グロ映画とともにエロ・グロ出版物の氾濫に反対している。出版綱領実践委員会が、極端なエロ・グロ出版排除の運動に着手したことは、原則としてうなずける。ところが、この健全文化のための大衆活動は、忽ち警戒しなければならない重大な問題に面した。エロ・グロ出版の排除という、誰も非難しようのないいとぐちによって、時事新報が誤って(六月二十日)報道したように、万一その委員会が、刑法改正請願というような逸脱行為に導かれれば、それはとりもなおさず外見は民間の声というファシズムの手のひらで、民主的発言の口をおおってしまうことになる。
 こう見てくると、こんにち、わたしたち日本の人民が面している民主化の諸課題の狡猾複雑なファシズムへのすりかえは、おどろくばかりである。ファシズム再興のあらゆる機会は、あらゆる場面で民主的[#「民主的」に傍点]外見によそおわれている。民主的という言葉は国の内外のファシストによって考えられ得る限り、あり得るかぎりの欺瞞性でつかわれているのである。
 日本の人
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