芽立ってきて、新日本文学会の誕生したのもこの時期であった。同時に、この期間は、呆然自失していた旧権力がおのれをとり戻し、そろそろ周囲を見まわして、自分がつかまって再び立ち上る手づるは何処にあるかという実体を発見した時期でもあった。資本の利害と打算は国際的であって、ファシズムの粉砕、世界の永続的な平和確立のための努力という、世界憲章のたてまえやポツダム宣言の履行と矛盾しながら、なおかつ資本は資本と結びつき得る本質のものであり、その利害には道義をつきのけたつよい共通性が生きていることを日本の旧権力が実感した時期である。吉田首相が記者会見のとき、連合国の日本民主化方策について、はじめは危惧の念を抱かないでもなかったが、この頃は我々にも十分納得ゆくようになって欣《よろこ》びにたえない、と語ったことは現実的な深い内容を暗示した。ポツダム宣言、世界憲章の人類的な道義の道はそれとして虹の橋のように美しくむなしく空に架けておいて、日々の人民生活の現実は民主化の上塗りのかげに出来るだけ発言のよわい、依らしむべき民[#「依らしむべき民」に傍点]、原住民としてのこしておこうとする金権力の二重の欲望があることを、日本の人民はこの第二の時期に学んだのであった。
しかし、この第二の期間、民主的という言葉はまだその文字の正当な意味で扱われていた。民主化そうとする日本の人民の心と、その民主化を阻もうとする権力的な意志の表現とは、対立するものとして文字の上にもあらわれていた。
ところが一九四七年の春以来日本民主化の第三の段階に入ってから、とくに、一九四八年に入ってから、猛烈な戦争挑発と並行して、日本の内外で民主的という表現が、そろりそろりとさかだちした意味で使用されはじめた。この新方法は、これまでの日本のむきだしなファシストたちの知慧では及びもつかない巧みさで心理的に準備された。そして、まだしっかりと民主化していない日本の多くの心、受け身に政治への不信を抱いている一般の感情にいつとはなし作用して、反民主的な諸傾向を逆に民主的なものとしてのみ込む習慣をつけようと企てられはじめた。
すべての職場のひとは、組合の民主化同盟というものの動きかたを知っている。民主化という標語をかかげて、策動しているものは潜伏的なファシストや、侵略戦争に協力した脱落社会主義者たちであることについて知らないひとはなくなって
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