、目立たないようにショールをもって行った。これから自分の主人になるのはどんな人だろう、優しい人だろうか。こわい人ではないだろうか。遠縁にあたる王子の小父につれられて初めてお針屋へ行った途中の気持もおぼえがある。
 実際、名をよばれて出て来る男のなかにはあっさりおとなしそうな様子の人もあり、余り親切そうにも見えないのもある。紹介のすんだ組は離れたところからそれ迄とは違う関心を互に通わせて、少年の方は、その一つの顔を見はぐるまいと気を張っているようだし、大人の方はもっと複雑に少年をねぶみしているように見える。勇吉の行くヤマダ合資会社という羅紗《ラシャ》問屋はどれだろう。サイは帯揚げの結びめでもゆるめたいような苦しい気になった。
 城山《しろやま》の別府勇吉君! 勇吉が体操のときのように脚をひろげて一歩二歩三歩と前へ出た。日本橋区芳町二丁目ヤマダ合資会社藤井謹之助さん。小紋の粋な羽織に、黒レースのショールを軽く手にかけた女がその声に応じて歩み出したのを見て、サイは何故となく伏目になった。上野の駅からこの三十四五の痩せぎすな女の疳性《かんしょう》らしい横顔がサイにいい印象を与えていなかったので
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