年のちがいばかりでない心持で自分の様子が凝っと姉に見られていると気付かない勇吉は、支那鞄の中から一つ一つ新聞包みを出して畳へおきながら、
「山北んげの正ちゃんが拵《こしら》えがすんでから急に帰《けえ》って来た」
と云った。
「ふーん。じゃみんな大喜びだろう」
「またいぐんだって。冬のうちばっか内地の米くいさ帰って来たってみんな云ってら」
「ふーん」
 勇吉が姉の膝の前へ並べた新聞包は故郷の味噌づけ、蓬餠《よもぎもち》、香煎、かき餠などであった。
「王子とここさわけるんだって」
「あっちはほんのしるしでいいよ。姉ちゃん気《き》いつけていつもいろんなもんやっているんだもの。――この蓬、※[#「餒」の「女」の代わりに「臼」、第4水準2−92−68、読みは「あん」、370−9]はいってか?」
「いたむから入れねってさ」
 田舎でも砂糖は足りないだろう。サイが、あとでわければいい、とガサゴソ新聞包を片よせているところへ、梯子段の下から、
「御飯ですよ」
という声がした。自分たちに云われたのかどうか分らなくて、姉弟がちょっと顔を見合わせてためらっていると、迎えに来た女の声で、
「さ、二人ともおりて下さい」
 サイがいそいで「はい」と都会の声で返辞した。
「さ、行こう」
 サイが先へ立って梯子を下り、ここですよ、と内から云われた襖を膝ついてあけると、そこは日のささない六畳で、大きい台が真中に据えてあった。女中が遠慮のない視線でサイの人絹ずくめの体を見下しながら、台処から汁椀を運んで来た。
 ここで自分まで朝飯をよばれようとはサイは思いもかけないことであった。
「気がつまるといけないから、お源さん、お櫃《ひつ》は姉さんにたのみましょうよ」
 腹がすいている筈だのに、勇吉は三膳しか代えなかった。もっとおあがりよ、と云いたいのをこらえて、サイは洗いものを自分で台処へ運んだ。
 やがて紺色の羽二重を頸にまきつけた、でっぷりした男が懐手でその部屋へ入って来た。
「よう、来たね」
 主人だろうと思って、サイと勇吉は丁寧にお辞儀をした。
「東京はどうだね、まあ辛棒が大切だ。追々勝手が分りゃあ何にも心配するがもなあないさ」
 煙草を一服、二服して、
「何てったっけ、勇――吉君か、丈夫らしいじゃないか」
 サイは自分の膝の上を見ている。ちゃんと対手を真面目に見ている勇吉は返辞するのによく声が出ないというような困った表情をした。
「ハハハハハ、まアいいさ。あとで旦那さんが見えるから、御挨拶しな」
 じゃあ、これは支配人というんだったのかと、下を向いたままサイは何だかおかしさと馬鹿らしさがこみあげた。何て主人のように物を云うんだろう。
「ねえちゃんのいるのはどこだい?」
 姉ちゃんというより姐ちゃんという風にきこえる問いをひきうけて、
「どっか王子の方ですってさ」
 わきからおかみさんがバットに火をつけながら答えた。
「工場なんですって」
「こっからは――大分あるな。近すぎるよりは身のためだ。家へもよく云ってやって下さい。たしかに引受けたからってね」
「どうぞよろしくお願いします」
 サイは頭を下げた。
「じゃ、装《なり》みてやって」
「そりゃあなた、新どんに云ってくれなけりゃ」
「あ、そうか」
 片方は懐手のまま立ち上りながら、
「今仕着せを出してやるから、着たら店へ来な」
「さ、私もこうしちゃいられない」
 従ってサイも勇吉も坐っていられなくなって廊下へ出た。
 二階へ戻ると、サイは寂しい眼色をしながら黙って新聞包の土産をわけはじめた。

 声を出したら涙が出そうで、弟の顔を見ず格子をしめ、さて問屋町の往来へ出て、サイの気持は全くとりつくはがなくなった。まだやっと九時すこしまわったばっかりだった。日の暮れるまでにはうんと時間がある。きのう、是非にと今日休ませて貰うように頼んだとき、伍長は、サイさんがそんなに迄云うんならよくよくのことだろう、よし。と許してくれた。そのときは勇吉を出迎えるというだけで心がいっぱいで、こんなにあっけなく別れたあと、あまった一日のつかいみちに困ろうなどとは念頭に浮んで来なかった。
 いかにも王子の家へこのまま帰る気はしない。何処か行くところはないかしら。風で揺れているような春の陽を真正面にうけながら、ともかく停留場へ向って歩いているサイの頭に浮ぶのは、せむしのごく意地わるなお針屋だの、三ヵ月ほど女中に行っていた勤人の家、さもなければ、同じ村から来ているフサイのところぐらいのものだった。フサイのいるのは目黒だし、女中をしているのであったから急に行ったところで、立ち話が関の山である。自分ひとりが休んで出て来ているのだから今の勤めの友達のところへ行ったっていないことは知れている。どこか行くところはないかしら。サイにすれば、王子のうちの婆さ
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