行く自転車の流れを見ていると、体のなかで血がそっちへ引かれてゆくような、面白くて悲しい気分がした。たまに同じ車道のあっち側を逆に向ってゆくのがあると、それはペダルを踏んでいる脚の動きまで目に見えて重そうだ。
 遠い路のどこかの辺を、勇吉も今頃そうやって帰っているのだろう。その姿を想像しようとすると、サイの心には、まだ田舎にいた時分、サドルをはずして横棒の間から片脚むこうのペダルへかけ、腰をひねって乗りまわしていた弟の様子が泛んで来るのであった。

        五

「お早うございます」
 サイは何心なく五六人かたまっている方へよって行った。
「おはようございます」
 なかの一人がふり向いてそう云ったきり、みんなぶすっとしている。眼をしばたたいて、サイは小声で、
「どうかしたの?」
と訊いた。
「ふーん」
「そりゃ誰だって気持がわるいわヨ、ねえ、火曜日にさ、何てみんなで決めたの。誰だか知らないけれど、出しぬいて自分だけ好い子んなって不動様のお守りもってったり、防弾鏡もってったりするなんて――きらいだ」
 作業室の娘たちの代表で、とも子とみのるが、昨夜川口にある飛田の家へ千人針と餞別の金とを届けに行った。飛田は留守で、母親が前掛の端で涙を拭きながら礼をのべ、あなたがたのお仲間が成田山のお守りを持って来て下すったり、何か鉄で出来た鏡をわざわざ届けて下すったり、と有難がった。
「誰だか、名をききゃよかったのに」
「おばあさんにわかるもんですか、――間抜けくさくて、そんなことを出来ゃしないわよ」
 皆が揃って、体操[#「体操」は底本では「休操」と誤植]の始る前、とも子は腹のおさまらない調子で、
「千人針とお餞別、ゆうべ確に届けましたが、私たちの知りもしないお守りだの鏡だののお礼までおっかさんに云われて、挨拶にこまったわ」
と報告した。
「あら! そんなら私だって黒猫のマスコット持ってったのに」
 てる子が残念そうに云った。
「そうじゃあないのよ。みんなできめた通りにしないひとがあるっていうのよ」
 飛田が一同に贈物の礼を云ったときも、室の気分はしこりがあって、しめっぽかった。
「ああ、愈々明日か」
 図板の間をぶらぶら歩きながら、睡眠不足と酒づかれの出たような艶のない顔を平手でこすって飛田が、寧ろ早くその時になった方がいいというように云った。
「みんな、後の伍長さんが来て
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