数学者ソーニャ・コ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]レフスカヤのストックホルム大学教授としての生涯は、この年代にすでにその早く終った生涯の晩年に近づきつつあった。
 さて、ここに、紫色の表紙をもった第三の「女大学」が私たちの目前に登場して来る。福沢諭吉の「新女大学」が出てからの日本の社会は今日まで実に大股に歩いて来た。四十余年の歴史の襞の間にはおびただしい波瀾がくるまれているのだが、第三の「女大学」は、どのような女の歴史をその内容にてりかえしているだろう。
 まず昭和十三年に出版されているこの「新女大学」には、良人読本という一部が加えられている。菊池寛氏は、日本の男子がもっと一般に婦人尊重の習慣をもたなければならないこと、妻に貞操を求めるならばそれと同様に自身も妻に対する貞潔を保つべきこと、一旦結婚したら決して離婚すべからざること、それらを、こまかく具体的に、例えば月給は全部妻にわたすことが、良人の貞潔を保つ一つの条件であるということにまでふれている。男は、自分より生活力も弱い婦人を、婦人一般として、その人への自分の好悪にかかわらずていねいに扱うところまで高められなければならないと説いているのである。
 男の社会的な習慣をそこまで高めてゆくために、ではどのような婦人の積極性が承認されているかというと、非常に興味あることには、その点に向うこの「新女大学」の著者の態度は、一貫して女の側としての妥協性の要求に終始している。男は男として、もっと良人教育をされなければならない。しかし女としては、と女に向けられた面での言葉は、決して四十何年か前、福沢諭吉が気魄をこめて女子を励ました、そのような人間独立自尊の精神の力はこめられていない。貝原益軒の「女大学」を評して、常に女に与えられている「仕える」という言葉を断じて許さずといったのは諭吉であったが、菊池寛氏の「新女大学」には、良人に「よく仕え」と無意識のうちにさも何気なく同じつかいかたがよみがえらされて来ている。歴史をくぐるこの微妙な一筋の糸はそもそも女の生活のどこにどこまで縫いつけられているのだろう。
 婦人に性的知識が欠けていることから生じる不幸について。恋愛に処する道について。職業婦人としての社会的進退について。四十年の社会の推移は、第二の「新女大学」に、おのずからこれらの項目をふやさしている。けれども、たとえば良人の貞
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