見える。そして、父の留守の父の誕生日に来ている。宏子には、それも苦しいのであった。しかも、この心持を、田沢が知ったら、蒼白い頬を歪めて、それは宏子さんが何と云っても嫉妬しているのです、と穿《うが》ったように云うであろう。宏子は二重に腹立たしかった。
 硝子戸をあけようとすると出会い頭に、
「おや、姉ちゃん来てたの」
 入って来たのは、順二郎であった。
「――順ちゃんいたの?」
「いたさ」
「どこに」
「僕の部屋に――何故?」
「田沢さんが来てる」
「ふーん……僕ちっとも知らないよ。――なアんだ、そうか」
と云った。食卓の仕度が出来ていた。大きいテーブルの上へ、二人分だけ寂しく片すみによせて並べてある。宏子と順二郎とはそれを見おろして、何となくそこへ突立ったままであった。
「お母様はどうなさるの?」
 宏子がそこにいる女中にきいた。
「さあ」
「伺っといで」
 戻って来て、
「お客様とあちらで召上りますそうです」
 順二郎が、ふっくりした素直な顔の上に乱れた表情を浮べ、姉を見た。
「変だな――何故……」
 突ったったままで宏子が、非常にきびしい声で云った。
「奥様はこちらであがっていただきます、と云っておいで。おいでになりますまで、順二郎さんと二人で待っておりますから、って――」
 女中が去ると、宏子は涙が出て来て堪らなくなった。なお突ったったままでいる順二郎にくるりと背を向け、宏子は全く食慾をそそらず冷めてくる食卓のまわりを歩きはじめた。



底本:「宮本百合子全集 第五巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年12月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
親本:「宮本百合子全集 第五巻」河出書房
   1951(昭和26)年5月発行
初出:「中央公論」
   1937(昭和12)年1月号
入力:柴田卓治
校正:原田頌子
2002年5月4日作成
2003年7月13日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全6ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング