子も呼ぶ家。そこに充満している両親の生活。それは宏子を引きつけ同時に惹きつけたよりもっと複雑なもので宏子を弾きのかす。だが、塾が云うところない生活というのではもとよりないのである。
この時、カン※[#濁点付き片仮名「ワ」、1−7−82]ス椅子の背に頭をもたせかけ、スウェータアの胸の下でゆったり二つの腕を組み合わせている宏子の真面目な若い顔に、皮肉と無邪気な悪戯っぽい可笑《おか》しさの混りあった笑いが浮んだ。今朝になって、瑛子は昨夜むしゃくしゃまぎれに、宏子をひと[#「ひと」に傍点]も来ているのにと云ったことを少し後悔しているらしかった。洗面所の廊下で起きたばかりの宏子とすれ違った時、瑛子は優しさのある眼付で、
「どうだい? 眠れた?」
ときき、返事を待たず、
「お前、私の洗面器をつかいやしなかったかい?」
と尋ねた。宏子は、
「いやよ、今起きたばっかりじゃないの」
と答えたが、母の気持を考えると可笑しかった。何か宏子に言葉をかけようとした突嗟《とっさ》にやっぱり母らしい文句しか出ず、ただそれを今朝は、
「おや、ほんとうにそうだったねえ」
とおとなしく結んだ。そこを考えると宏子は滑稽で、また腹立たしいのであった。
裏庭のボイラー付温室は、順二郎が高等学校に入った祝いに瑛子が造ってやったものだ。土蔵との境の木戸があいたりしまったりして、やがて順二郎の友達らしい青年のやや癇高なところのある声がそこから聞えて来た。
「小田んところの兄さんも温室やってるんだね、こないだ小田と見物して来た、とてもデカイや」
「本職なんだろう?……ああ、そうそう、こないだ有難う。お父さんもう帰った?」
「ああ電報が来て帰っちゃった」
きっちり襟元を合わせて絣の角袖を着、袴をつけた吉本も一緒に、茶を飲んだ。瑛子は、
「お父様、この方が吉本さんですよ、この間順ちゃんをホテルに呼んで下さった――」
と改めて紹介したりした。泰造が吉本の家庭の様子などを、いつとはなし地になっている社交的な口ぶりで訊ねると、吉本は、滑らかな調子で、別にばつをわるがりもせず、一定の社会的地位が対手に推察されるように、要領よい返答を与えている。
瑛子には、順二郎のこの交友が気に入っている、それは瑛子が吉本の一寸した言葉にも愉快そうに笑う、その華やいだ調子で分るのであった。
女中が、そこへ入って来た。丁度宏子のよこのところへ膝をついてとりついだ。
「奥様、ただいま築地の雄太郎さんがお見えになりましたが……」
「あなた」
瑛子が、いかつい声になって云った。
「雄太郎が来ましたそうですよ、この間っから云っている学費の明細書を、今度こそ出すようにおっしゃって下さい。ようございますか?」
そして、こっちへ向いたまま、
「日本間へ通して」
と云いつけた。
「ほんとにどこでもいろいろな身内の厄介がありましてねえ。――おうちなんかでもお世話でしょうねえ」
吉本は、きちんと坐ったままただ笑っている。程なく紅茶茶碗を一つだけ盆にのせ、お砂糖を、と入って来た。その茶碗を瑛子が見た。
「おや、レモン入れたのかい?」
不服そうに、居あわす者にきこえる位の声で云った。その場の皆の前にあるのはレモン入りの紅茶である。瑛子は顰蹙《ひんしゅく》した声で云った。
「レモンなんぞ入れないだってよかったのに――」
偶然、自分の茶碗からレモンの切を受皿へどけていた宏子は、茶碗の中を見たまま顎のところまであかくして、暫くは顔をあげなかった。
間に二人ほど泰造の事務的な来客があった。四時頃、宏子が腕時計を見ながら階段下を来かかると、畳廊下のところに、中途半端な立姿で、羽織だけ着更えた瑛子が佇んでいる。隅の衣裳箪笥の戸をあけて、泰造がこちらへ細かい大島の背中を向け、中に吊ってあるモーニングの内ポケットから紙入れを出しかけているらしいのであったが、その手つきは焦立ったように動いているにかかわらず、いかにもしないでもいいことを手間どってしているような風である。瑛子が、声を低め、熱心に云っていた。
「だってあなた、そんなことは出来ませんよ、失礼じゃありませんか」
「いや失礼じゃない」
「これまで家庭的にやって来ているのに、今急に――」
傍を通りぬけようとする宏子を、
「ちょいと、宏ちゃん」
瑛子は、当惑と抑えた腹立ちと更に際立って一種のつややかさが動揺している仄白い顔の表情で宏子を呼びとめた。
「お父様にゃ困ってしまう。折角田沢さんが見えたのに、どうしても会わないっておっしゃるんだよ」
「…………」
唐突ではあるし、その場の空気はただならないし、若い宏子には、何と云ってよいのか分らなかった。
「あなたのようにそういきなり感情的になったって――わけが分りゃしないじゃありませんか」
「訳はよく分ってるじゃないか。俺は
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