を受けたのだと云う。
けれども、先妻の死んだ部屋だというのだから、まだ年の若い其女は何か迷信から、そんなになってしまったのではあるまいか?
只さえ人気ない夜陰の物さびしさが、此の急な連想で驚くほど無気味なものにさせられた。
伝説に深い趣味を持って居る自分は伝説にまける。
人間の心の微妙さを信じる自分は、種々の例外を認める。
従ってひどく臆病である自分は、明けはなした窓から、際限もない夜の暗に覗かれるのはたまらない。
私は立ってシェードを押して、又よみかけの本をよみ始めた。
幾分か経ったろう、読みふけて居って自分は、いきなりバサリと音を立てながら、傍にのべた紙に落ちた虫の羽音に驚かされた。
夜更けるまで仕事をして、少し頭がつかれたとき人はひどく神経質になる、私はひどく臆病になる、
又蛾が来たのかなと思って、こわごわ見ると、何か赤い縞の小虫である。
暫くじっと止って居たがやがて急に私の胸元へとびついて来た。
驚いてふりもぎる、拍子に体が宙がえりを打って図らず見えた腹に何か白いものがついて居る。私は始めて螢だったことに気がついたのである。
私は今までにないなつかしみを以て、又胸を這い出したその小虫を見た。
螢には故国の連想が多い。螢を見ると、すぐ黒い透谷の着物が思い出される、悲しいものである。
そうして見ると先刻ホーッと明るんで飛んだのも矢張り此の螢だったのかしら?
自分は微かな滑稽に**しながら、まだ這う虫をみまもった。
暫く胸の上を這って居た彼女は、暫くするとフーッと立って天井にとまった。
アメリカで最初に見た螢だと云うことも、私になつかしい心を起させた。
今まで私の見たどの螢よりも大きかった、若し此が螢でなかったら、私をこわがらせずにはおかない大きさである。
国が大きいと螢まで大きいものだろうか? 北原さんの螢の指輪や、その指輪を誰かが詩人のシンボルに作って居るというようなことが*然と、しかし無限のなつかしさをもって心に湧いて来た。
底本:「宮本百合子全集 第十八巻」新日本出版社
1981(昭和56)年5月30日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第2版第1刷発行
底本の親本:同上
執筆:1919(大正8)年6月
※「*」は不明字。
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2004年2月15日作成
青空文庫作成フ
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