の悪いという事実は瞞着するに余り自明である。
 其の気分を読んで、自分は思わず溜息をついた。そうだ。真個にそうである。
 何に、彼那人が彼那事を云ったって、自分の生命の価値に何の損失も与える事は出来ないのだ、とは思う。又思うのみならず其を信じて疑わない。けれども、信じ安じるべきであるに拘らず、その不愉快さは依然としてドス黒いかたまりを、朗らかな胸中に一点の波紋を保って存在して居るのである。
 馬琴もそうだったのかなと、思った。
 そして、力を得たような淋しいような気がした。箇性の持って居る力と、人間の与えられた宿命的な(少くとも現今に於ては)本能が、ともに噛み合う事を又更に思わずには居られなかった。
 その気持が、今逆に裏返って自分の上に返って来たのである。即ち、その誹謗が実質的な価値は持って居ないと分りつつ尚不快である如く、或る賞揚や尊敬は、又其の実質が如何に低いかを知りつつ、又或る淡い愉快と、由づけとを感じないわけには行かないということなのである。
 小さい魂や、浅薄な動機からの追従も、物によってはそのわなにかからずにすむ。若し私が、貴方の御両親は、真に素晴らしい御金持で、と云われたと仮定して見る。此那讚辞に対して、私は元より無関心である。
 私は、平静な微笑をもって、其に報い得る。けれども、此は私丈ではないと思う、どんな小さいことでも、芸術的の創作に力をそそぐ人は、彼等の作品を認められ、賞讚されたという場合に、仮令如何に其を押えようとしても押えられない嬉しさが来る。
 有頂天にならないまでも、又、如何に謙虚に自分の未完成である事にハムブルではあろうとも、その「心のときめき」を、否定し尽す人はないだろう。
 下らない賞讚にあって、少し頭に血が上ったのを知ると情けない。
 小さい誹謗に、口元を引締めるのを知ると寂しい。
 あらゆるそういう動機によって、創作のモーティブが不純になる事を畏れて、戯作三昧の主人公のように、成べく、其を耳にしないようにするべきだろうか。又如何に其等が群をなして飛んで来ようと、端然と己を持して居られる丈の自らの力の成育を希うべきであろうか。
 自分は後者であり度く思う。ありたく思うのみならず、そう努力して行こうと心に思い定めて居る。
 総ての事物に、合一される事が無くなり度い。

 同じ日
 今日は偉く暑い日である。
 紐育《ニューヨーク》
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