何とアメリカシャボンの包紙の反古《ほご》みたいなものでしょう。どこにもない様に顔の小さい、足の長い美人たちが、それが商売である図案家によって、奇想天外に考え出されたモードのおしゃれをして、たったり坐ったり寝そべったりしています。お互いに愛想のつきるような電車に乗ってつとめへ往復して、粉ばかり食べて下腹がみにくくつき出る日本の今の若い人達が、こういう雑誌の絵にみとれているのを見ると、新円稼ぎの雑誌屋共を憎らしく思います。もう少し親切に少しは本当の“おしゃれ”の役にでも立つ、せめて同じ顔色と髪の毛を持った日本の女が、今の事情で綺麗に暮してゆける役にでも立つ物をみせて上げたらよいのにと思います。暑い時、口に入る一匙の氷はそれを胃に悪いからとばかりいって止められません。本当にそれで歩く元気も出る時があります。音楽にしろ、芝居にしろ、映画にしろ、一匙の氷の様なその時だけの、慰めに役立つものが、すべて無駄だという事は野暮です。しかし私達はその一匙の氷の中にいつかあった様な殺人甘味が入れられているとしたら、一匙の氷は、時にとっての清涼剤だとして安心していられるでしょうか。毎月見る婦人雑誌が、ただただ
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