シャボンの泡のきらめきの様なものだということに大した罪はないようだけれど、働いて一生を築いて行こうとする若い女性達の現実の毎日が、日本ではまだまだ嘘で堅められた民主主義で家庭の中の封建性も職場の中の封建性も、根絶やしにはなってはいませんし、労働法もそのままで、今度の議会では御無理、御もっとも式のものである時、生活にかかわる重大なそれ等の問題からすっかり若い人の心が離れてゆくということは親切なことでしょうか。婦人の社会的地位を向上させることでしょうか。
今日、職場で自分達の生活を正しく理解し、やがては自分達の心持を表現した文化を自分で生み出してゆきたいと思っている若い婦人達の動きは非常に着目され、楽しい未来を期待させます。文部省は新しい教育をしようとしているかも知れませんが、東京女子大にしろ、津田英学塾にしろ、学生達の生活はみじめなものです。社会問題について研究会すら持たされません。その婦人達がやがて選挙権を行使するのですからその人々のためにも、日本のためにも、不倖せなことです。これに反して、働く職場の婦人達は同じ年齢でもはるかに社会生活の真只中にあって、自分達の力で組合を強くさえすれば、文化的な面、娯楽的な面も、だんだん自由に伸びてゆく可能性をもっています。
本当の民主主義が働く多数の人々を中心として前進するものであるという真実が、ここにも現われていると思います。若さは多くの要求をもつものが自然です。そして若さはそれを率直に実現してゆく権利をもつはずです。[#地付き]〔一九四六年九月〕
底本:「宮本百合子全集 第十六巻」新日本出版社
1980(昭和55)年6月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
初出:「月刊労働文化」
1946(昭和21)年9月号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月14日作成
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