の仕事としては面白い芝居を団体で見たり、良い映画をもって来たり、自分達の仲間で音楽会を開いたり、雑誌を出したりしてゆきましょう。民主的な労働組合の発達した国では、それぞれ産別の組合が立派なクラブの建物を持っていて、スケートリンクや、競技場、プール等持っているところさえあります。
 この働く人々の文化への要求というものはその人々の働きがその社会で、どういう扱いをうけているかということによって非常に変化いたします。働く人の労働力が、その人々を傭っている人、つまり企業家を富ます目的でだけ利用されている社会では働く人の文化の要求は文化的な面で、金儲けをする企業家の餌食となってゆくばかりです。そんな社会では、働く人の本当の人間らしい喜びや苦痛や希望をいろいろな形で表現した文化を持つことは出来なくて、丁度私達がレディメードの服を、裸ではいられないからといって着る様に、こんな物なら売れるだろうと、企業家の商売的な目安からつくられた劇、音楽、雑誌、映画などを、あてがわれてそれに対して自分達の尊い働きによって得た金を払わされてゆきます。
 この頃、何と婦人雑誌が出るでしょう。そしてまた、大部分のものが、何とアメリカシャボンの包紙の反古《ほご》みたいなものでしょう。どこにもない様に顔の小さい、足の長い美人たちが、それが商売である図案家によって、奇想天外に考え出されたモードのおしゃれをして、たったり坐ったり寝そべったりしています。お互いに愛想のつきるような電車に乗ってつとめへ往復して、粉ばかり食べて下腹がみにくくつき出る日本の今の若い人達が、こういう雑誌の絵にみとれているのを見ると、新円稼ぎの雑誌屋共を憎らしく思います。もう少し親切に少しは本当の“おしゃれ”の役にでも立つ、せめて同じ顔色と髪の毛を持った日本の女が、今の事情で綺麗に暮してゆける役にでも立つ物をみせて上げたらよいのにと思います。暑い時、口に入る一匙の氷はそれを胃に悪いからとばかりいって止められません。本当にそれで歩く元気も出る時があります。音楽にしろ、芝居にしろ、映画にしろ、一匙の氷の様なその時だけの、慰めに役立つものが、すべて無駄だという事は野暮です。しかし私達はその一匙の氷の中にいつかあった様な殺人甘味が入れられているとしたら、一匙の氷は、時にとっての清涼剤だとして安心していられるでしょうか。毎月見る婦人雑誌が、ただただ
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