められない大人と子供の世界の、無理解や思いちがいという程度をこした惨酷さではないだろうか。
 ドオデエの「プチ・ショウズ」(岩波文庫・八木さわ子氏訳)は、フランス文学の中でのデエヴィッド・カッパアフィルド(ディッケンズ)と云われている作品であるけれども、この忘れ難い小説の前編の中ごろ以下、サルランド中学校の若い生徒監としてプチ・ショウズが経験する野蛮と冷酷と利己の環境は、とりも直さずプチ・ショウズとともにその中で苦悩する若い魂の背景として、こわいほどまざまざと描き出されている。
 マルタン・デュガールは、長篇「チボー家の人々」(白水社・山内義雄氏訳)を何故第一巻の「灰色のノート」をもってはじめずにはいられなかったのだろう。そこで無視され、卑俗な大人の通念で誤解されたジャックの能動的な精神の発芽が、やがて封じこめられた「少年園」第二巻で経験する苦しみと危機との描写は、現代においても若い精神が教育とか陶冶とかいう名の下に蒙らなければならない戦慄的な桎梏と虚脱とを語っているのである。
「少年時代」(岩波文庫・米川正夫氏訳)の中でトルストイが描いている家庭教師への憎みは貴族の子弟でもその背に笞
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