ちの幼年の日の思い出を甦らせ、憂いとよろこびの流れ合った独特な心持を目ざめさせて、ハンスの苦悩にみちた運命に共感をおこさせる。同時に、この作者が自然というものに対して抱いているロマンティックな傾倒もそこに溢れていて、ハンスのおそろしい生々しい壊滅への姿は、一種霧のようなものにつつまれて、印象にのこされるのである。
 ヘッセは、「青春彷徨」で発展小説を、「車輪の下」で教育小説をかいたと云われているけれど、この作者の天質にはロマンティックな詩人としての要素が決定的なものとして働いていると思う。「青春彷徨」の結末にしろ「車輪の下」の最後にしろ、ヘッセは、誠意をこめて辿って来た精神と肉体の葛藤の終りを、いつでも音楽で云えば弱めて消されるピアニシモの音調で結んでいる。余韻は空気のなかにのこってふるえているけれども、その余韻の快さに甘えてばかりいないで、そこにふくまれている作者の暗示にとんだ意味をとりいれて生活の力とする読者は、果して何人いるだろうか。
 決して譲歩しない人生に対する沈着な勇気と不屈な正義への感覚とが、ヘッセの場合では外的な関係なしに、個人的な関係を時代と歴史とに向って浄化しようと
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