ない。
欧州の文学の中でさえ、境遇の条件との関係では受身におかれて描かれている若い娘たち少女たちの内的生活が、日本の近代文学の中では果して少女小説からいくら歩み出して扱われているだろう。再び、細井和喜蔵の著書が念頭に浮んで来る。あのようにして挫折する夥しい若い生命の声は、どんな作品のなかに反響しているだろう。
心理分析の手法で、少女から若い娘にうつる微妙な時期の嫉妬やあてどのない愛のもだえを扱った映画は、フランスやドイツに現れていて、日本でもその模倣めいた試みがされているけれども、今までのところは情緒的な雰囲気の味が目ざされていて、そこには、社会の因習に揉まれつつ、それに抗して一個の女性として形成されてゆく精神の成長の過程を描くような厳粛な努力は払われていないのである。窪川稲子の「素足の娘」は、単に境遇の条件とのたたかいの範囲にとどまらずに人間として何かを求めて成長しようとしている少女から若い娘への推移のある時期を描いた数すくない婦人作家の作品のうちの一つである。
樋口一葉の「たけくらべ」は吉原という独特な環境にある少年少女の稚い恋を描いた近代古典として有名であるし、まぎれもなく
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