だろう。
 明治以来の文化の成長は未だ封建を脱皮しきっていなくて、日本の社会と家庭の生活における少年たち少女たちの存在は、自分を一人の人間として明瞭に自覚することを非常におくらされて来ている。青年期にずっと近づいて初めて自分の周囲に対する目と心とを開かれる。そのことから作家たちが稚く若い日の心の成長の苦悩を描こうとする場合にも、現れるのは青年時代の姿ということになる。社会に封建の力がつよければつよいほど自分というものの人間性の自覚は、生理の成長よりずっとおそく精神の上に辛くも開花するのが例である。徳永直の「他人の中」は、いくらかゴーリキイのあとを追った筆致であるが、山本有三の「路傍の石」とともに境遇的描写の範囲で少年の生活の苦渋を描いている。
 二三年前、坪田譲治などの子供の世界を描いた作品が流行したことがあった。が、あの時代の作品でも、稚さから若さに発展しようとする人間の肉体と精神とが、今日の現実のうちに遭遇する種々様々の困難にまでふれて描き出そうとした作品はほとんどなくて、おおかたは大人の心がそこに休安を見出すよすがとして工合よく配置された稚い世界を扱った作品であったことも忘れられ
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