い男女の一群とがある。
批判的で建設的にこの二度とない人生を生きようとしている男女が、その心持を恋愛論にひかされるのは、今日の恋愛と結婚のありように対する真摯な疑問と、その解決の要求からであると思う。
一口に男といっても、今四十前後の男と青年とは気質にも慣習にも非常に多くの相異をもっている。青年のうちにまたなかなか複雑な型《タイプ》の類別が生じている。男の貞操とか女の貞操とか対比的によく問題となってきている。これまで、男といえば菊池氏流に、貞操というようなものはないもの、多妻的本性によって行動するものと単純に自覚されてきているが、現代の青年ははたしてすべてが、そういう単純な生物的な一機能に全人間性を帰納させた生きかたを自分の生きかたとしているであろうか。私は、現代の青年のある部分は、性的なものを多様な人間の生活要素の一つとして、綜合的に自覚しているもののあることを現実に知っている。抽象的に未来の妻となる女に対する貞操とか、何か宗教的なあるいは生理的な潔癖性からでなしに、人間としての自分が肉体で結びつくまでには、やはり人間的に愛し得る婦人を必要とするたちの青年が決してなくはない。
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