は恋愛、結婚は結婚。そして、結婚には、対手の経済的な力を第一の条件とする娘。そういう若い女は、現代社会の富の分布の関係から、当然、自分よりずっと年長の男を良人とし、やがて良人は良人として、妻は妻としてそれぞれの形の裏切りを重ねてゆくわけである。
 地道な若い下級サラリーマンや、職業婦人の間に、今日はこんな世の中だからよい恋愛や結婚は望んでも駄目だという一種の絶望に似た気分があるのも事実だと思う。青年たちは、自分たちの薄給を身にこたえて知り、かつ自分の上役たちにさらわれてゆく若い女の姿を見せつけられすぎている。職業婦人たちは、それぞれの形で、いわゆる男の裏面をも知らざるを得ない立場におかれている。私たちの新しい常識は、職場での結合をのぞましいものと告げているのだが、日本の社会の現実で、愛情の対象を同じ職場で見出すことはほとんど絶対に不可能に近い。大経営の銀行、百貨店、会社はどこでも、そこに働いている男女の間の恋愛や結婚を禁じている。もし、そういう場合には、どちらかが、多くの場合女が職業をすてなければならない。けれども、今日多くの若い職業婦人が大衆の貧困化から強いられて来ているように、家計の支持者であるとしたら、困難は実に大きい。若いサラリーマンの給料は妻を扶養するのもむずかしく思われるほどだのに、ましてその家族の負担などは考えることもできまい。男にも経済的に助けなければならない家族がある場合がむしろ多いであろう。下級勤人ほど、この家庭の経済的羈絆はその肩に重からざるを得ないのである。
 それに、一つの職場中でも、伝統的な男尊女卑はのこって作用している。職業婦人の感情には、集団としてそのしきたり[#「しきたり」に傍点]に反撥する感情の潜んでいることは自然であり、男の同僚たちも、男尊の一般的傾向にしばられ女に親切な男として仲間からある笑いをもって見られることを厭う。馘首の心配に到る前に、これらの重複した原因から、男と女とは、一つテーブルのあちらとこちらとでも、まともに対手を眺めようとしなく成っている。人間の心理は微妙であるから、自然な状態におかれればおのずから親密さや選択の生じる若い男女が、はじめからある禁圧を意識して日々対していることから、牽引が変形して一種不自然な反撥となって感情の中には映って来ることさえあるのである。
 さいわい、互に働いている男女が愛し合うとして共
前へ 次へ
全15ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング