語の最後は、アメリカで教育を受けつつ民族的矜持を失うことのなかった中国の青年劉が、中国にかえって自国の現実に幻滅を感じつつ、ついにその中から立ち上って、中国の民衆のうちに潜んでいる力への信頼をもって生きはじめるところで終っている。
バックが最近書いた感想によると、今日の優秀な中国青年男女が、再び自分らの故国を見出している諸事情について、やはりまだ劉青年を描いた理解にとどまっていることを感じる。
中国独特の伝統と生活力とが民衆のうちに蔵されているとばかりわかっても、現実の中でそれらの伝統と生活力とが、今日のどのような彼らの要求と結びついて、しかもどういう方向に動いているかということを世界の動きの中で具体的に捕えなければ、中国の情熱は芸術化しきれないのである。
今日までの作品において、バックは周到な観察と同情と実感とをもって、中国は中国なり、というところまでを描き来った。中国は中国としてどうなろうとしているか、というのが今日の問題である。バックはやがてどのような程度まで進んだ理解でそこを描くであろうかと期待される。
日本は中国とは同文同字の国といわれ、地理的にも近いのに、たった一人のバックのような作家が生れなかったということはなぜであろうかと私たちを考えさせる。アメリカにミッションがあるが日本にはそれがないというばかりではあるまい。日本の昔ながらの支那通、あるいは支那学者といわれた人々は支那の古典の世界にとじこもっていたし、一方きわめて近代化した中国と接触をもっている部分は文化人というよりは政治、実業その他関係の技術家が多く、その接触の調子は特殊なものであった。これらの事情は二つながら芸術作品を生ませるには遠いものである。
理解とそして愛。この二つのものが私たち人間に人間を描いた芸術をつくらせるのである。
「孤児マリイ」
マルグリット・オオドゥウというフランスの婦人作家は、初めは仕立屋であった。モードを創ってブルワールに堂々たる店をもっているような服飾家ではない。ほんとのお針女、日給僅か三フラン(一円二十銭足らず)を得るために、ある時はブルジョアの家に出張したり、またある時は、自家の小さな部屋――ミシンのところへ行くのにはマネキン人形をずらさなければならないという、そんな小さな部屋で働いたりしている貧しい「女裁縫師」であった。
一八六四年、中部フランスの貧しい家に生れ、五つ位のとき母に死なれ、後は父親がぐれ出して孤児院で育った。十四五歳から後は孤児院から農家の羊番娘にやらされ、十九歳ぐらいのとき、巴里へ出て来た。女裁縫師としてオオドゥウの辛苦の生活が大都会のきわめて目立たない一隅で営まれはじめたのであった。
腺病質で眼の弱かったオオドゥウは中年にいたって、ついに盲目になりたくなかったら裁縫をすてろと医者に宣告された。絶えず病気で、非常に貧しく、ときどきその日のパンにさえ事を欠く彼女は「自分の苦難を少しでも忘れるため、自分の孤独を慰めるため、自分自身の伴侶になるような気持で」ものを書きはじめた。
偶然のことから二三の作家と知り合うようになり、オオドゥウの作品の特別な魅力が彼らを動かした。「小さき町にて」「ビュビュ・ド・モンパルナス」「母への手紙」の作者、シャルル・ルイ・フィリップも熱心な彼女の支持者であったが、自分のためにさえ何もなし得なかったフィリップにはマルグリットを世のなかに押し出す力はなかった。それをしたのは、この日本訳にも序文の出ているオクタアヴ・ミルボオ「小間使いの日記」の作者である。
原名「マリイ・クレエル」というこの作品は一九一一年に出版され、発表と同時にフェミナ賞を貰った。彼女は後二十六年の間に「マリイ・クレエルの工房」その他三巻の小説を書き、最後の作「光ほのか」を完成して一九三七年二月に南仏で歿したのであった。
マリイ・クレエルの孤児院生活の描写からはじまる「孤児マリイ」の一篇は、堀口大学氏の手に入った訳であればあるほど、原文の味わいはどのように新鮮、素朴、簡美であろうかと、フランス語でよんでみたくなる作品である。孤児院の仲間の女の子の性格、マリイ・エエメ教姉のかくされた激しい情緒が迸る姿、院長の悪意。実によく短いはっきりした筆で描写され、とくにマリイがヴィルヴィエイユの農園の羊番娘としての生活の姿は、四季の自然のうつりかわりと労働の結びつきの中に、無限の絵、ミレーの羊飼い女などのような絵と音楽とを感じさせる。オオドゥウのみずみずしく落着いた筆致は、フランスの農場管理人の生活をもはっきり示しているのである。
農場主の妻デロア夫人の冷血さ、息子アンリイに対するマリイの感情、こういういきさつはしばしば小説の中に描かれている。「テス」にしろ、ブロンテの「ジェーン・エーア」にしろ傑作といわれている文学作品はかつて同じ人生の局面を描いたが、オオドゥウが描いているような情感と気魄とでは描かなかったと思う。
オオドゥウの作品が、ある内部的光明と透明さに貫かれ、その美で読者を打つ理由を、彼女の夢想と苦悩とから生じたものとして説明されているが、私は、苦悩というものに対するオオドゥウの驚嘆すべき勇気、不屈さがあったからこそ、あの光明と透明さとが彼女の精神を輝かしたのであると信じる。苦悩に面して慎ましく、しかも沈着で勤勉にそれを克服してゆくオオドゥウの人間的品位は、すでに小さいマリイの生きかたのところどころに閃いており、意地わるな院長にわざと辛い農園へやられる場合の威厳にみちたといえる程の若いマリイの立ち姿にはっきり現れている。
若い敏感な読者たちは、マリイがアンリイを見知り、心をひかれ、だが破局に終るまでのマリイの心の推移から、どのようにねうちの高いものを学んで来るであろうか。アンリイがデロアの息子であると知って、心から愛するエエメ教姉の話をしたことを愧《は》じる心持、アンリイとの訣別、デロアのところを逃げて来るところ、ここには貧しくよるべなくお針女はしているが、決して卑屈でない女の真情が溢れたぎっているのである。
オオドゥウが人生の苦悩に対してひねくれず毅然としたものをもっているところが、彼女をありふれた女の悲劇から救い、このような美をもつ作品をも書かせている。
読者の中に、もしか「あしながおじさん」という岩波文庫から出されている小説を読んだ方がありはしないだろうか。
「あしながおじさん」は有名なアメリカのユーモア作家マーク・トウェンの姪、アリス・ウエブスター(一八七六年―一九一六年)によって書かれ、やはり孤児院で育った娘ジャーシャの物語である。ジャーシャは「快活で、率直で、機智にとみ、人生に対して楽天的で、しかも独立心にもゆる魅力ある近代女性」として読者に愛せられる娘である。が、作者は、ジャーシャを孤児の境遇から幸福で富裕な近代若夫人に育て上げるために「あしながおじさん」というほとんどロマンティックな青年貴族をもち出している。その広大な財力による庇護の腕の中でジャーシャの独立心も可愛らしく書かれている。
「孤児マリイ」とこのジャーシャを読みくらべてみると、ウエブスターのように不幸の解決が慈善でできると信じていた社会層の婦人作家の世の中の見かたと、オオドゥウの人生に処してゆく態度との間に、びっくりするような相違のあることを発見する。
自分の努力で人生の扉をも開き、花をもつまなければならない私たち現代の女に、欲せられるものはオオドゥウの雄々しい優しさである。[#地付き]〔一九三八年一月〕
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(一九四九年六月追記)「婦人のための書棚」は一九四〇年ごろに書かれたものであった。太平洋戦争にまで拡大されようとしていた寸前で、書籍目録からは、多くの貴重な本の名が省かれなければならなかった。こんにちエンゲルス「家族・私有財産・国家の起源」「空想より科学へ」マルクス「賃労働と資本」などは婦人の常識の基礎としても必読の本である。
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底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第九巻」河出書房
1952(昭和27)年8月発行
初出:冒頭部分「若い婦人のための書棚」は初出不詳
「新女苑」(「大地」「孤児マリイ」)
1938(昭和13)年1月号
「宮本百合子選集 第十五巻」安芸書房(追記)
1949(昭和24)年10月
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年5月26日作成
青空文庫作成ファイル:
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