由であったが、改正案では、相当の理由なくては反対できないということにされている。
 妻が日本では法律上無能力であり未成年者や禁治産者(精神異状その他の理由による)と同様独立の人格と認められなかったことは、実に枚挙にいとまない女の悲劇、自殺を生んで来ている。改正案はこの妻の無能力と夫婦の財産制を改め、代りに「婚姻の効力」によって、「妻の能力は適当に之を拡張すること」を提案しているが、やはり妻が法律上有する能力の範囲は、適当と考えられる範囲に、限りとどめられるわけである。
 本の性質として、細かい実例や插話は入っていないから、いわばかたい本である。けれども、以上のような一つの例を見ても、私たち女が、日本で、女であるということはどういうことであるのかという現実の条件を知ることができ、また、子であり妻であるとはいかなる意味で現れているかという事実がわかり、やはり有益であると思う。女としてさまざまの感想も、おのずから無くはないのである。
 ところで、これらの全書は、主として日本の歴史と今日の実際をとりあげているのであるが、私たちの興味はここから自然ひろがりさかのぼって、家族の発生や財産というものの発生について世界の人類が経て来た道が知りたくなってくる。それについて、人類はいくつかの興味ある研究をとげている。
 一、モルガン著(改造文庫)古代社会 上下
 一、ベーベル著(改造文庫)婦人論
 一、リヤー著(岩波文庫)婚姻の諸形式
 一、ラッパポート著(改造文庫)社会進化と婦人の地位
 一、能智修彌著 婦人問題の基礎知識
    (これは古本屋でさがすしかない)
 なぜ有名なエレン・ケイ女史などが、二十世紀の初頭に恋愛と結婚を中心に婦人の問題をロマンティックではあるが、女の立場としてとりあげるようになり、イギリスの、パンクハースト夫人がほとんど狂熱的な行動で婦人の参政権を要求しなければいられない気になったかという社会事情が、以上の本でわかる。とくに後の二冊はヨーロッパ大戦後、一躍した世界の女の諸事情(もとより日本をこめて)を示している点で有益だと思う。
 こういう人類の歴史の大筋を一方に眺めつつ、それと関係をもって古典から現代までの文学作品を見渡すことはたいへん面白いことである。なぜなら文学史というものは、その脊骨の中に社会の歴史をひそめて今日までのびてきている。作家も読者も作中人
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