ろ傑作といわれている文学作品はかつて同じ人生の局面を描いたが、オオドゥウが描いているような情感と気魄とでは描かなかったと思う。
 オオドゥウの作品が、ある内部的光明と透明さに貫かれ、その美で読者を打つ理由を、彼女の夢想と苦悩とから生じたものとして説明されているが、私は、苦悩というものに対するオオドゥウの驚嘆すべき勇気、不屈さがあったからこそ、あの光明と透明さとが彼女の精神を輝かしたのであると信じる。苦悩に面して慎ましく、しかも沈着で勤勉にそれを克服してゆくオオドゥウの人間的品位は、すでに小さいマリイの生きかたのところどころに閃いており、意地わるな院長にわざと辛い農園へやられる場合の威厳にみちたといえる程の若いマリイの立ち姿にはっきり現れている。
 若い敏感な読者たちは、マリイがアンリイを見知り、心をひかれ、だが破局に終るまでのマリイの心の推移から、どのようにねうちの高いものを学んで来るであろうか。アンリイがデロアの息子であると知って、心から愛するエエメ教姉の話をしたことを愧《は》じる心持、アンリイとの訣別、デロアのところを逃げて来るところ、ここには貧しくよるべなくお針女はしているが、決して卑屈でない女の真情が溢れたぎっているのである。
 オオドゥウが人生の苦悩に対してひねくれず毅然としたものをもっているところが、彼女をありふれた女の悲劇から救い、このような美をもつ作品をも書かせている。
 読者の中に、もしか「あしながおじさん」という岩波文庫から出されている小説を読んだ方がありはしないだろうか。
「あしながおじさん」は有名なアメリカのユーモア作家マーク・トウェンの姪、アリス・ウエブスター(一八七六年―一九一六年)によって書かれ、やはり孤児院で育った娘ジャーシャの物語である。ジャーシャは「快活で、率直で、機智にとみ、人生に対して楽天的で、しかも独立心にもゆる魅力ある近代女性」として読者に愛せられる娘である。が、作者は、ジャーシャを孤児の境遇から幸福で富裕な近代若夫人に育て上げるために「あしながおじさん」というほとんどロマンティックな青年貴族をもち出している。その広大な財力による庇護の腕の中でジャーシャの独立心も可愛らしく書かれている。
「孤児マリイ」とこのジャーシャを読みくらべてみると、ウエブスターのように不幸の解決が慈善でできると信じていた社会層の婦人作家の世の中の見
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