つかわないとか、そんなことまで条件に入って来て、男児安産の電報をもらって大いにあわてた。まだ、名の方が決定していなかったのである。
 暢気《のんき》なような責任の重いような気持で、紙の上へいくつも名を書いて眺めながら、私はしみじみ日本の習俗が、男の子と女の子とを区別して来た意味の大きさを感じなおす心持だった。
 男の児の名が何だかむずかしいのは、その家にとって最初の男の子というものにかけている周囲の心持の反映だと思うのであった。おばあさんはおばあさんなりに、若い父親は父親なりに、もし男の子が生れたら、という瞬間の気持にこめている内容は、もし女だったらばという期待と決して決して同じでないから、ひとりでに、名もむつかしくなって来るのにちがいない。
 名前を考えるのがそんなに骨が折れるのは、まだ生れていもしない、従って人間としての性格も見当つけようもないような男の子という観念をめぐって、周囲の者がそれぞれの心で考えられるいろいろさまざまの社会生活の可能、ひろがりを思い描くから、変につかみどころなくむずかしくなって来る。
 女の赤ちゃん、と思ったとき、ぐるりの心に映る内容は何と単純だろう。女の
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