洗う波とどうなったのか、至極混雑して、やがては従兄の援軍で、どうにか三分の二までやり、遂そのまま降参したことがあります。
父も父だと云ってしまえばそれきりのようですけれども、私にとっては楽しい記憶の一つとしてのこっております。
パリにいた或る日、父は私をつれてどこであったか裏町の骨董店歩きをして、私にいろんな家具のスタイルだとかを話してくれたことがありました。ある店で、柿右衛門を模倣した小さい白粉壺が見つかり、父が、しきりに外国で日本の作品が模倣されている面白さを云うので、では二人で歩いた記念にこれを買いましょうと、私がおそらく生涯に一度の骨董的買いものをしたこともあります。
父が最後の二三年、楽天氏のアトリエで漫画を折々描いていたということを、ふと楽天氏が洩らされたことがありました。シャツだけになって、大した元気で一時間ばかり描いて行かれますよ、というお話でしたが、父はそのことについては何も云わず、作品というものも従って私共は見ておりません。どうせお手習いでしたろうが、私は、ああいう気質の父がどんな漫画をかいたのであろうか、と大変興味があります。紙屑でも、北沢さんがもしまだお捨てになっていないのならいただきたいと考えております。伊東忠太氏が漫画をかかれます。練達とともに非常に或るテムペラメントの現れたものをかかれます。父が漫画めいたものを描いたとしたら、果してどんな線や色で、自身のあの政治的でない気質、淡白さ、ある子供っぽさのようなものを表現したでしょう。どのような題材を、どのようにとらえ、解釈したのでしたろう。まことに知りたいと思います。
夏目漱石さんがロンドンにおられたのは、父よりも二三年前のことのようですが、その時分書かれたものをよむと、ロンドンの街で自転車の稽古をしたことが記されています。家の近所のダラダラ坂に人通りの少いのを見はからって、颯《さ》っと乗り出したはよいが、進むにつれて速度が加って、どうにも始末がつかなくなり、あわやという間に交通巡査に抱きついてしまった。六尺ゆたかなロンドンの巡査はニヤニヤしながら、悠々とした顔つきで大分骨が折れますね、と云った。というような意味の文章です。
父のいた時分、やはり自転車流行の頃であったと見え、父も稽古をしてはよくひっくりかえったらしい様子です。子供のことで、お父様の自転車というと、すぐ、亀の尾をぶったのよ、とあとつけ、よく笑ったものでした。それほどはっきりした印象としてのこったのは、下村観山氏が漫画をかいてロンドンから送って下すったからでした。いくつかコマのある続き絵で、その当時の流行で髭を長く尖らした若い父が気取って山高帽をかぶり自転車のペダルをふんでいる。むこうから女のひとが犬をつれてやって来た。それをよけようと四苦八苦してバランスをとりそこねている父。遂にころげ落ちた父が、哀れややっと起き直って前方を眺めると、自転車ばかりが非人情にも主人をのこして遙か彼方へ進行している。そういう絵がペンとインクで描いてありました。
子供たち私共は、その絵ハガキが大好きで父がかえって後も度々出しては見たものですが、母は、ほんとにいやだ、とか、あぶないのに、とか云ってそうよろこびませんでした。今になって考えれば、三人の子供を育てながら、経済的苦労を辛棒しつつ五年の間留守をしていた母の心持は複雑であって、山高帽をフッとばして自転車から落ちたりもしているロンドンでの父の暮しぶりに対し、単純な笑いを爆発させることは出来なかったのでしょう。父の気分も、母の心持も、味い深く感じられます。
[#地付き]〔一九三七年一月〕
底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
1981(昭和56)年3月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
1953(昭和28)年1月発行
初出:「中條精一郎」(追悼録)、国民美術協会
1937(昭和12)年1月発行
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
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