実感への求め
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

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(例)[#地付き]〔一九四一年六月〕
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 先月、日比谷映画劇場で、国際観光局が海外宣伝映画試写会をもよおした。「富士山」と「日本の女性」という二つの作品で、其映画のはじまる前に、映画製作に直接関係した課の長にあたる人の挨拶があった。これまでの日本の映画音楽がよくなかったので、この二つには特に新進の作曲家たちの労作を得た。
「所期の成果をおさめて居りますかどうかは、専門家の方々の御意見と海外の観衆の批判にまたなければならないところであります」そういう意味の言葉であった。
 それをきいていて私たちは何となし妙な気がした。日本のなかでは、専門家にしかその映画音楽のよしあしがわからないと思っていられるのであろうか、と。そして海外の観衆と云えば、それが分るものと、しんから承認され得るのだろうか、と。
 現代の映画は、日本の文化の一番高い峰よりはいつもずっと低いところでしか作られて来ていないこのことについて、知っている人は皆知っている。
 そのように映画が低いところで
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