に出る迄に運び去る人。何時頃来るのか、男か女か、子供か大人か、伸子はちっとも知らなかった。然し、土曜日には間違いなくそれ等の洗物が、再び知らない人の手で寝台の上に置かれている。そういえば、第一階の大広間の、あのいつも白い大理石の床は、いつ、誰が拭いているのだろう。伸子は、眠られないと、夜中によく耳につく道路掃除人夫の働く音を思い出した。深夜、七階の彼女の窓へ聞えるのは、ホースで水をはじかす音、ガリ、ガリと石敷道を何か金物の道具で引かく淋しい音ばかりだ。覗いても、燈の消えた向いのアパアトメントの暗い窓々しか視野に入って来ない。人は見えない。次の朝になると、上へ行くほど坂になり、涯には海でもありそうに展望を利かして、青空に折れ込んだ街路が、昨夜の記憶などけろりとなく横わっている。そういう大都会独特な、姿のない働き人。伸子は不思議なような陰気なような気持がした。
伸子は、また訊いた。
「ね、ミセス・コムプスン、貴女もここに棲んでいらっしゃるの?」
「いいえ、私はつい近処に別に部屋を持っていますんですよ」
少し息ぎれがするような調子であった。
「家の方がたと?」
「No, dear, I am living all alone.」
「まあ――一人ぼっち?」
「ええ一人ぼっち――一人っきりなのです」
ミセス・コムプスンは、言葉の重みを計るようにゆっくり頷きながら答えた。が、赤い頬辺の微笑は、長者的な落付きで一層|濃《こま》やかになった。彼女が、もう何十年かそういう暮しをして来たことを、伸子は理解した。
「じゃあ淋しいわね、御飯だけはこちら?」
「ああ、それがね――どうもここに働いている者みんなが望んでいる通りに行きませんでね、困るのですよ」
今まで、どこやら子供相手というふうに返事していたミセス・コムプスンの顔が俄に生気を帯びて来た。彼女は、すっかり伸子の方へ向きなおり、本気な小さい声で訴えた。
「御承知の通り、ここには三つ食堂がありますでしょう、生徒がたの分だけでもね。それが一部屋でざっと八九十人の御賄を仕度なさるんですから、いつだって十や二十、外出の方々の分が残ってしまうんですよ。――若い娘さんが、ドシドシ捨てていなさいますからね。どうせ捨てる物なら分けて欲しいと思って、ミス・ハウドンにも願ったんですけれど――」
「駄目なの?」
ミセス・コムプスンは、亜麻色の束
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