ム長は三吉の足に合わせては大きく歩きにくい上に、今は傷んで水が入って来る。「困ったなア、母ちゃんたら、買ってくんないんだもの!」「何ぐずぐずしぶくってるのさ、きょうぐらいはけるじゃないか! さ、いい子だから早く学校へおゆき、今度お金のあるとききっと買ってあげるから、ね。」こうして雨の中を心地わるく学校へ来た三吉と一郎とが、その日雨という題で作文を書かせられたとしたら、この二人の、全く違う境遇の少年らは、各自の心に映った雨をどのように描くであろうか。一郎が、僕は雨の日は面白いと思うと、雨の中を闊歩する活溌な描写をし、三吉が、僕は雨の日はきらいだ、歩くにも気持がわるいしと書いたとして、先生がもし皮相的にその文章をよんで、一郎がより生活力をもち溌溂とした子であり、三吉の方は消極的であると判断したら、どうであろう。それはそれぞれの子供の社会的現実を理解しているといえるであろうか。
更に、この二つのタイプには属さないもう一つの態度が、子供の作文の中にもあらわれ得る。それは、自分の生活とはきりはなして雨を眺め、春雨はやさしく柳の糸をぬらしています云々のいわゆる美文的作文である。
然し、この美文
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