た男の兄弟たちに代って若い妻の肩にかけられているようなばあい、自由ということはなんでしょう。この間新聞に、通称ママといわれる売笑婦が焼跡の空きビルで屍体となって発見されたという記事がありました。世界には有名なゾラの小説でナナという売笑婦がありました。ミミという売笑婦もいました。ルルという女もいます。同じ字を二つ重ねた売笑婦の愛嬌のある呼び名は、世界にどっさりあります。けれども、母親という――ママという通称の売笑婦があったことは聞きません。しかしそれはわたしどものこの日本の東京にあって、そして殺されたのか死んだのか、屍体となって発見されました。その女は三人の子供を持っています。どれも小さい子供のようでした。誰がその子供を食べさせるでしょう。売笑婦は売笑によってその子供を養っていたのです。父親はどうしたのでしょう。逃げたのでしょうか。戦が多くの男を殺しているのですから殺された男の中に入っているかも知れません。
 あの朝の新聞を何千人の婦人たちが見たか知らないけれども、通称ママの死はわたしたちに深い深い感銘を与えます。自分の人生からこのようなママであるママを否定します。この日本にこのようにし
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