いたらば、それが同じ日本にあることと信じかねることでしょう。
 日本の歴史はその悲劇的な進行の道すがら、家庭を極めて防衛力の乏しいものとしてしまいました。親に頼らないということが大正時代の娘のほこりでありました。それは人格の社会的目ざめの一段階として考えられましたけれども、今日ではいくじのない娘が親に頼ろうとしても頼るべき力が親にはないというのが現実になりました。こういう状態では婦人の勤労というものが一そう社会的に大きい意味を持ってきて、組合が男子の賃金の三分の一で、あるいは半分で働く婦人の地位を改善させようと努力を繰返していることなどは全く当然のことになりました。
 憲法が基本的人権といっている、その人権も勤労と生存のすべての条件が人間らしく守られているときにこそはじめて実際の人間として確立されるものです。民法が改正されて、結婚の自由も、財産に対する権利も、母親の親権も増大しました。しかし文字の上での権利が増大したとしても、自由が与えられたとしても、結婚して一家を持ってゆくだけの収入が若い二人に確保されていない時、住むに家のないとき、親たちの扶養してゆかなければならない義務が、戦死し
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