も、質素な、そして充分色のさめない若い婦人のための服地が四着分生産されることを希望します。それが現実に作られてゆく美しさの条件です。美しさという言葉は雲のように空を流れているものではありません。それが作られるためのはっきりした根拠がいります。青春の豊かさは、豊かにされるだけの根拠がいります。
 自覚というような言葉を、またここで思い出してみれば、日本にない絹ビロードの夜会服にあこがれ「映画のあの場面ではあの着物のレースがあんな風にひるがえった」とまぼろしを描くよりは、日本に一種類でも、そのように若い人の人生を愛した布地の作られるように希望することこそ、若い自覚の一つの例であろうと思います。
 社会と自分というものは切っても切り離せないものです。家庭が社会から自分を守るものだと思っていた明治や大正の日本の娘たちは、今日若い婦人たちのほとんどすべてがさまざまの経済的事情から職業を持ち、あの混む電車に乗り、さらにあまりりっぱな服装をしていない若い女性は性病撲滅のためという理由によって、警察にとめられて吉原病院で強制的な検診をさえも受けさせられるような屈辱と苦痛を忍んで生きているということを聞いたらば、それが同じ日本にあることと信じかねることでしょう。
 日本の歴史はその悲劇的な進行の道すがら、家庭を極めて防衛力の乏しいものとしてしまいました。親に頼らないということが大正時代の娘のほこりでありました。それは人格の社会的目ざめの一段階として考えられましたけれども、今日ではいくじのない娘が親に頼ろうとしても頼るべき力が親にはないというのが現実になりました。こういう状態では婦人の勤労というものが一そう社会的に大きい意味を持ってきて、組合が男子の賃金の三分の一で、あるいは半分で働く婦人の地位を改善させようと努力を繰返していることなどは全く当然のことになりました。
 憲法が基本的人権といっている、その人権も勤労と生存のすべての条件が人間らしく守られているときにこそはじめて実際の人間として確立されるものです。民法が改正されて、結婚の自由も、財産に対する権利も、母親の親権も増大しました。しかし文字の上での権利が増大したとしても、自由が与えられたとしても、結婚して一家を持ってゆくだけの収入が若い二人に確保されていない時、住むに家のないとき、親たちの扶養してゆかなければならない義務が、戦死した男の兄弟たちに代って若い妻の肩にかけられているようなばあい、自由ということはなんでしょう。この間新聞に、通称ママといわれる売笑婦が焼跡の空きビルで屍体となって発見されたという記事がありました。世界には有名なゾラの小説でナナという売笑婦がありました。ミミという売笑婦もいました。ルルという女もいます。同じ字を二つ重ねた売笑婦の愛嬌のある呼び名は、世界にどっさりあります。けれども、母親という――ママという通称の売笑婦があったことは聞きません。しかしそれはわたしどものこの日本の東京にあって、そして殺されたのか死んだのか、屍体となって発見されました。その女は三人の子供を持っています。どれも小さい子供のようでした。誰がその子供を食べさせるでしょう。売笑婦は売笑によってその子供を養っていたのです。父親はどうしたのでしょう。逃げたのでしょうか。戦が多くの男を殺しているのですから殺された男の中に入っているかも知れません。
 あの朝の新聞を何千人の婦人たちが見たか知らないけれども、通称ママの死はわたしたちに深い深い感銘を与えます。自分の人生からこのようなママであるママを否定します。この日本にこのようにして子供の母親であるママが生きなければならないということも否定します。否定しうる条件がこの社会に作られなければなりません。みんながこのことに無関係ではないのですから。
 婦人代議士たちは立候補したときなんど繰返して「女は女のために」といったでしょう。わたしたちはこの言葉を少しちがえて考えたいと思います。「女は女のために」というような一段高いところからおためごかしのことをいうほど、わたしたち日本の婦人の生活は安易なものではありません。すべての婦人がほんとうに自分たちのために、ほんとうに自分たちの未来の幸福のために、生活の細目にわたって充分理解し社会との関係を掴み、そこで発展的に問題を解決してゆく鍵を見出す本気の心持がわいてきていると思います。
 自覚というようなことは虹ではありません。あるとき降った夕立のあとに暫くは美しく空にかかるだけのものではありません。自覚という言葉は教会の鐘の音でもありません。いろいろな折に鳴りひびいて、そして消えるだけの鐘の音ではありません。それはわたしたちの鼓動のようなものでしょう。わたしたちのなかにあります。そしてわたしたちを活かし、わたしたちの血液を運び人生
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