分の声も合せながらもう決して還ることのない自分の良人、息子、さては兄弟たちへの思いが今こそまざまざと甦って計らずこぼされる涙の意味を、どうして考えようとしないのだろう。ブロード・ウェイが祝祭の人出と歌と酔っぱらいとで赤くそして青く茄り、顫えているような一九一八年十一月十一日の夜、そのどよめきに漂って微かな身ぶるいを感じながら、私は食べ足りた人々の正義とか人道とかいう言葉に深い深い疑問を感じた。
その時から十年とすこし経った。
私は云うに云えない感想をもって、ロンドンのセント・ポールの大寺院の前に佇んでいた。大戦のときの無名戦士の記念碑には、煤でうすよごれた鳩たちの糞がかかっている。見上げるセント・ポールの正面の大石段の日向には上から下まで、失業した男たちがびっしりつまって、或るものは腰かけ或るものは横になり、あたりに散っている新聞の切れはしと一緒になって、それはまるで巨大な生活の屑山のような有様である。
公園の草原では、若い女たちが二人三人とあちこちにかたまって、靴をぬいで昼飯をぬいた失職の体を暖めている。イギリスの公園と云えば世界に有名だけれども、ロンドンの東部の公園では、遊んでいる子供も大人も顔色から言葉つきからその骨組の工合まで、西側の人々と異っているというのは何故だろう。
巴里《パリ》の凱旋門の下では、夜も昼も無名戦士の墓辺の焔がもやしつづけられていて、そこには劇的に兵士が立って火を守っていた。
けれども、その犠牲の様式化され、装飾化されさえしたような美の形式にかかわらず、男一人に女五人の割というフランスで、夕方華やかな装いで街の女が歩きはじめる並木道の一重裏の通りを、黒い木綿の靴下をはいた勤労の女たちが、疲労の刻まれた顔で群をなしていそいで遠い家路に向っていた。木炭瓦斯で自殺したというものの名は、新聞の上で殆どいつも女であった。これは、花の巴里というところのどういう現実を語っているのであったろうか。
あんなにどっさりの女性が大学程度の教育をうけているイギリスで、あんなに女と愛を理解し大切にすると云われているフランスで、女一人が完全な独立生活を営めるだけの条件はなかなかかち得られないでいることは、私にやっぱり旧い世界共通な自分たち女や子供の生活のありようというものを考えさせた。
現実の不条理からひきはなして、たとえばフランスのように小さい銀貨の
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