した。ところが、二葉亭の「浮雲」を熟読して、春のやおぼろ[#「春のやおぼろ」に傍点]は自身の天質がこれからの小説を書いてゆくには適していないことを知って、遂に小説をやめたということが、先生自身の回想として書かれていた。
この插話は、おどろくような自分を見る眼のあきらかさと同時に、聰明というものの限度の悲しさを私に感じさせる。人生には聰明の及び得るよりさきのものがある。
私たちの生活の発育というようなものは、つまるところ、刻々の現実にかかわってゆく私たち自身の生きようとする意慾の角度の中から、可能も見出され、様々の予想しないきっかけがとらえられてもゆくものなのではないだろうか。
男で科学の学問をするような人達はその学問としての道もあり、先輩もあり、従って師というもののありかたも明瞭になって来る。
文学の上に、師というようなものが固定して考えられるだろうか。影響をうけ、それが大きく意味をもつということはある。しかし、文学を生もうと欲する思いの根柢には、つねに今まで在るものではないもっと切実な、もっと真実に迫った人間感動をつたえたい衝動があって、その地熱のようなものは、個々の人のあらゆる具体的な血管を通じてじかに歴史の鼓動とともに生きている。
女の場合には男より一層それが社会の通念や常套と絡みあって来る。葛藤が女性を文学以前において消耗する力は、何とおそろしく執拗だろう。そのたたかいの間から漸々いくらかずつ自身の文学を成長させて来ている事実は、現在私たち同時代の婦人作家の殆ど総てが、女性として結婚生活の経験の上に何かの形でそれぞれの痕をもっていることからも考えられると思う。文学に向って何をか求めることは、とりも直さず生活の日々のなかに何かを求めることになる。この芸術本来のいきさつは、女性の場合特別に直接である。
私として第一次欧州大戦が終った丁度そのときニューヨークに居合せたことは、稀有な歴史的情景とともに、どっさりのことを考えさせられる機会となった。
武者小路さんが云っている愛というようなものに、疑いを抱いたのもこの時であった。もし人間に無条件に通じ合う愛というものがあり得るなら、こうやって初冬の晴れた大空を劈《さ》いて休戦を告げる数百千の汽笛が鳴り渡るとき、どうして人々は敗けて、而も愛するものを喪った人々の思いを察しようとしないのだろう。歓呼のうちに自
前へ
次へ
全9ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング