けあるおしゃべりだったろうか。わたしの講演をきいて入党したといっているひとが世田ヶ谷のある細胞にいるそうだ。『われらの仲間』にあの話のテーマで原稿をもとめ、それは職場の人の、あの話をきいてふっきれなかったところがよくわかった、という手紙ととともに発表されるだろう。これが当日の事実である。
 民主主義文学の作品は、多種多様な題材をとらえて、千変万化の局面を描き出さなければならない。どんどん労働者作家がそだてられなければならない。これはすべての人の要求である。しかし、現実の問題として、一九四六年以来、いくたりかのびて来ている労働者作家、戯曲家を真に人民の文学者にまで大成させ、さらに多くの若い作家を育ててゆくためには、こんにちの段階でいわれているすべての民主作家の活動を、率直に公平に評価する必要がある。現にファシズムとたたかいつつある民主的実力として、勝利のために生かされなければならない。エロ・グロ出版がはんらんしているとき、わたしの作品集が二十数万部、評論集十余万部が読まれているという事実は、むしろ、もっともっと民主作家はよまれてよい、という面からこそとりあげるべきことである。
 文化反動
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