けあるおしゃべりだったろうか。わたしの講演をきいて入党したといっているひとが世田ヶ谷のある細胞にいるそうだ。『われらの仲間』にあの話のテーマで原稿をもとめ、それは職場の人の、あの話をきいてふっきれなかったところがよくわかった、という手紙ととともに発表されるだろう。これが当日の事実である。
 民主主義文学の作品は、多種多様な題材をとらえて、千変万化の局面を描き出さなければならない。どんどん労働者作家がそだてられなければならない。これはすべての人の要求である。しかし、現実の問題として、一九四六年以来、いくたりかのびて来ている労働者作家、戯曲家を真に人民の文学者にまで大成させ、さらに多くの若い作家を育ててゆくためには、こんにちの段階でいわれているすべての民主作家の活動を、率直に公平に評価する必要がある。現にファシズムとたたかいつつある民主的実力として、勝利のために生かされなければならない。エロ・グロ出版がはんらんしているとき、わたしの作品集が二十数万部、評論集十余万部が読まれているという事実は、むしろ、もっともっと民主作家はよまれてよい、という面からこそとりあげるべきことである。
 文化反動とのたたかいにおいて、階級的人間への成長のたすけとして、いくらかでもより多く読まれる民主作家は一人でもよけいに入用である。一九四六年来の出版・読書関係の各種世論調査や労働組合のサークル調査を見ても、わたしの話や作品は、大衆の民主的・前進的感情の何らかの真実と結ばれている。「播州平野」にみちみちている戦争への抗議は人々の生活の底にうずいていないものだろうか。この一月に自分の手から一票一票と三百万の票を党におくった人々の心に「風知草」が描いた代々木本部創立当時のおもかげは、何のよびかけももたないだろうか。「二つの庭」がよまれたのは、まだ日本の社会、とくに婦人の生活から封建性がとりのぞかれていないで、その重荷とたたかう重感が、作者と読者とを貫いて生きているからである。こんにち反動は、おそろしげに鉄のカーテンとよんでソヴェト同盟の現実をかくそうとしている。「道標」をよんだ職場の人々は、ソ同盟にいるのも同じく働く人民であり、人民の幸福のための政治と組合と、学校、家庭をもっていることを知って、ソ同盟への親しみと理解とをより深めている。これらのことは、民主革命へのこんにちの途上で、わかりにくい内容の
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